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やはり曇りガラスであった田中県政

 本日26日、田中知事が100条委員会に出頭した。その田中証人に対し宮澤副委員長が、各会派から尋問するべき項目を募り、それらを集約し田中康夫証人に対し尋問を行なった。県民の皆さんは一見そのやり取りに対し物足りなさを感じたり、尋問の趣旨が理解できなかったかもしれない。 しかし、田中康夫証人も自分が想定していた尋問と違い、戸惑いを感じながら証言していた。もっと自分の理念を語ろうと思っていたかもしれない。しかしあまりにも淡々と想定外の尋問に、焦りを感じ重要な証言をしてしまっている。

 まずは「知事後援会幹部の働きかけ」を認めてしまった証言をした。また「公文書破棄問題」も、岡部元経営戦略局参事が知事をカバーしようとして「私が公文書を破棄させたことにします。フロッピー等も消去させました。」と知事にメールを送信したことに対し、岡部氏にそれは良くないから取りやめさせて、その文書を公開させなさいといわずに、数日後岡部氏でなく関係のない宮津職員に「それは良くないね 」とメールを送ったと証言した。このことは自ら公文書を非公開とすることに対し「良くないよ」と認めながら、岡部氏の行為をとめようとしなかった。自ら直接指示しなかったと言えども、否定しなかったことは岡部氏の行為を認めたことになる。それは暗に指示していたことになる。

 今日の田中知事は100条委員会を甘く考えていたために、つい思わず不用意な証言をしてしまったことになる。県民の皆さんは分かりにくかったかもしれないが、田中康夫証人は想定外の尋問内容にしどろもどろの証言となっていたのです。「働きかけ問題も、公文書破棄問題も」全て否定もしなければ肯定もしなかった。尋問内容が核心に触れてくると「定かではないが記憶はありません」と逃げ、結果的にそのことを認めたことになったのです。

 「うーんだいじょうびかのう~」と付け加えたメールを、県職員でもない後援会幹部であった当事者の小林誠一氏にも、送信していたことに対しても、公社改革について心配していたと証言している。誰が聞いても無理があり苦しい「うそ」を言っていることが分かる。メールを送ったことも後援会幹部とも親しかったことも、全てを認めた。自分の得意としていたPC・メール行政が墓穴を掘ったことになる。証拠は自分自ら作り出していることが明らかになった。

 自ら「ガラス張りの県政を」といいながら、限りなくその逆の県政を進めてきた。名刺営業を禁止させながら、自ら後援会幹部との密接な関係を認め許していたことは、限りなくグレーの情況を認めたことにもなった。曇りガラスの上に黒のスプレーを吹き付けたかの情況を吐露したことになる。やはり自分だけのことを考え、自分の友達だけを大事にしてきたことを裏付けた今日の100条委員会であった。