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県民の皆さんに知らせるべき、「知事の実態」を

 いよいよ一般質問も始まった。代表質問の際も知事の答弁は、ほとんど咬み合わないのでなく、かみ合わせてくれなかった。ただ議会側を挑発し、自分で脱ダム後の対策案はあると県民に公約しておきながら、5年たって未だに対策も示されていない。出してくる対策案は現実味のない河川整備計画だけである。そのことを質問し真意を質せば、代案を出せ、挙句の果ては国にまで代案を出すべきと言い出す。もはや何も県民のことを考えないで、自分の人気取りだけ考えているパフォーマンス知事は、知事の資質を持ち合わしておらず、田中康夫氏は「知事失格」である。
 
 まだ「知事失格」は続く。知事へ質問する議員に対し、「価値観の違い」「認識の違い」と言われてしまうと、議論は成り立たなくなってしまう。議員は県民のために誰が知事になろうとも、施策の疑問点・不安点、予算の使い方、県民の要望、長野県の将来的ビジョン、教育・福祉と健康・農業・道路や河川整備などなどの中・長期計画など、納得いく説明を求めることは当然の義務である。 

 それを「価値観の違い」で済まされてしまっては、県民の皆さんにどう説明をしたらよいのだろうか。議会は知事にとって見れば、時に嫌な反対集団と思うときもあろう。しかしその意見をよく聞き軌道修正できることによって、県民へのサービスがより行き届くこととなり、安全安心の生活が営まれるようになることになる。そのときは逆に議会は大切な応援団になることを忘れてはならない。反省の出来る人ではないから「知事失格」であると、言わざるを得ないのである。

 100条委員会の委員長報告をめぐって、県民の皆さんのいろいろな意見が聞こえてくる。しかし、田中知事は記者会見で「一県職員のガサネタをとりあげ人を落としこむことは長野県の恥だ」というような発言をしていた。そうであろうか。包み隠しのないガラス張りの県政を標榜してきた知事が、自らの県政運営のあり方を問われても、何も語らず全て押し隠そうとしている長野県知事「田中康夫」こそ「長野県の恥」ではないか。ガサネタかそうでないかはいずれ明らかになろう。

 いずれにしても、県民益が見えないとか、偽証などが推測に過ぎないでこじ付けだ、何が変わるのか、県民の税金を使ってきた価値があるのか、知事批判や攻撃だけにしかうつらない、などと多くの意見も承知をしている。100条委員会を県民の皆さんの利益につながるために、真剣に調査活動や審査をしてきた一人として、それらの意見に不満は一切申し上げるつもりはない。そのような不安を持たせた100条委員会や県議会は反省しなければならないであろうが、それらの意見を払拭するときは必ず来ると力強く申し上げたい。それだけ我々は真剣に慎重に自信を持って取り組んできたのである。むしろ余りにも田中知事の自分中心で、私利私欲的な県政を治めていたかが、あれもかこれもかと多いのに驚いている。

 先日も触れたが、県民の皆さんに県議会は知事選の「政争の具」だとか、自分の選挙を考えて二の足を踏んでいるとか、前回の知事不信任のトラウマだ、と言う声を多く聞くようになったが、私たちは自信を持って田中知事の県政運営の実態・事実をお知らせすればよいと思う。自分を恐れてあいまいな報告をすることのほうが、県民の皆さんを不幸に陥れてしまうことになるのだ。真実を語り県民の皆さんが、それでも議会を評価できないとするならば、その時はあきらめるしかないだろう。

 この際は、県民の皆さんの利益を第一義に考え、自分にかかる不利益を跳ね除ける努力を、今実践する時ではないだろうか。それが現在与えられている県議会議員の役割ではないかと思う。議員の皆さんには失礼もあったかとも思うが、よく考え判断をしていきたいものである。