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最終日を迎える6月定例会

 8日土曜日も忙しい一日だった。6月定例会もいよいよ10日の最終日だけとなった。一週間委員会の報告が出来なかったことをお詫びをしたい。一般質問では田中県政の検証総括的質問が多かった。答弁の誠実さについては以前にお知らせしたとおりであるが、不誠実と言うより知事の人格を疑わざるを得ない発言も目立った。 
 

 長野朝日放送の『淺川治水・検証特集番組』に対し県は、事実誤認に基づく内容として公開質問状を提出した。各派代表者懇談会の折に『捏造』だと発言したことに対し、謝罪するべきとの追求に対しても知事は一切謝罪の言葉はなかった。私たちが見る限りは知事の言うような違和感はなかったと思う。淺川流域の住民の皆さんに国も認可できる安心安全の治水対策を、一日も早く示さなければならない県知事の目線でなく、物書き・表現者としての目線で見た結果であろうと思える。県(知事としても)としての言い訳もなく、異様とも思えるものを感じた。

 故・今橋参事の件については、問題の真を衝かれたため、顔が硬直していくのが明らかに分かるばかりでなく、副知事と共に完全に「だんまり」に徹していた。そのことがかえってことの真実を語っていたのではないか。非人道的な人事が行なわれていたと思われても仕方がないであろう。

 究極の発言は、北陸新幹線建設に伴う『県と長野市の長沼地区と交わした・確認書』について、田中知事は『当時の県は虚偽の約束をしてしまった』と重大発言をした。自ら脱ダム宣言後の淺川治水対策の代替案を示すことなく、何回も可能性の無いその場限りの代替案を示してきた。当然地元も国も納得できる治水案ではないことは周知の通りである。結局総務委員会では長沼地区の対策委員会と懇談会をしなければならなくなった。結果は全く正反対の意見であった。

 飯山の岳北クリーンセンターにおいてもそうであるが、住民の合意も得られ正しい町村事務が行なわれていても、山口村の越県合併と同じように客観的判断でなく、一部の人の意見だけを聞き自分の思い入りだけの判断で執行を行い、長野県の全体像や地域の特長を生かした地域の発展など考えない、まさに長野県でなく「田中県」の偶像を演じているようであった。

県議会も県教委も、将来に汚点を残してはならない
 

 委員会活動に入り各委員会で活発な議論展開がされた。10日の採決前に新たな悩みに苦しんでいる。県立高校再編問題である。もともと県教委が高校改革について県議会や地域などの関係者との議論を深めないまま、高校再編については来年度一斉に実施しようとしていることが事の発端である。そこに共産党県議団から『廃止につながる生徒募集の停止は議会の同意が必要』とする条例の改正案が出された。

 県議会のほとんどの会派は高校改革については否定をしていない。志昂会では高校改革の必要性を県民の皆さんに訴えながらも、地元の大多数の合意を得ることが大切だと強調してきた。確かに強引な県教委の進め方に『条例を改正』してまでもストップをかけたい気持ちはないわけではない。ただ、条例は国での法律と同じで、改正するには慎重でなければならない。まして県議会は執行者である県と立場は異なる。勿論県議会にも条例の提出権や改正する権利はあるが、県議会が執行権を得るような条例改正はするべきでなく、あくまでも執行者のチェック機関であることを忘れてはならない。

 文教委員会では集中審議まで行ない慎重に問題解決に向けて審議をされてきた。その結果我が志昂会の熱血漢清水保幸議員は、共産党県議団が提出した改正案に対し『行政の執行権に少しでも抵触を避けようと』、更に修正案を示したのである。【志昂会では委員会の審議の過程で出されてきたと思っていた】ところが、共産党県議団が示した原案を撤回することなく、他の委員が提案するとばかり思っていたが、清水修正案として委員会で採択となったのである。文教委員会では何とか収拾したいと言う心根は分かるが、会派の議員からの修正案だけに判断に苦しむ。

 志昂会そのものは強引な県教委の手法は勿論容認できないが、やはり条例の持つ重さと、委員会で採択された条例改正案が、本会議で採決されたあとの課題のほうが心配である。中学生や高校生がより混乱をされることと、県議会が責任を永劫に負っていかなければならないことの重大さを、条例提案に賛同した県議の皆さんはどう感じているのだろうか。県議の責務として県民の皆さんに、時には勇気を持って辛抱強く理解を求めることも必要ではないだろうか。問題の核心から逃げることは時に楽なことであるが、問題の解決にはならない。むしろ後遺症のほうが怖い。

 地元住民の合意が得られていないと多くの請願陳情が出されている中で、執行権に抵触することを承知で条例案を改正してまでも、県民の切なる声に答えようと、体を張って現状の進め方を阻止しようとする県議会の意向を十分汲み取り、ここは県教委も一歩さがり、もう一年県民の理解を得る努力をしても良いのではないか。

 長野県と長野県教育委員会、更に長野県議会の今後のためにも、県政史上に汚点を残さないための工夫と努力と忍耐が必要ではないか。その上で県教委は高校再編案を強行するのではなく、高校改革の必要性を改めて強調することによって理解を得られていくものと思う。今なら両者とも目を覚ます時間はある。良識と勇気に期待をしたい。    それにしても悩める最終日となってしまった。