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政争の具と言わしめたのは報道機関だ

 今日の各報道では一斉に百条委員会の結果に対する、公文書破棄等に関する県独自の検証委員会の結果が発表されたと報道された。私は検証委員会設置の際も、何故県が県費を使って独自に設置しなければならないのか疑問を呈した。そのとき既に県や県議会から離れ捜査機関に委ねているからである。もっと早い段階で検証されることは理由も付けられたかもしれない。現在に至っての検証結果報告は捜査機関に対しても失礼なことであろうし、不当な圧力をかける事にはならないか。

 百条委員会も違法の可能性の事実が認められたから告発に至っているのである。でも、田中知事に対して違法性がないとの結論は今の時期に報告されることはいかがなものか。また検証委員は長野県の実態を掌握された上で検証が行なわれたのだろうか。確かに一連の流れから見れば本来、法的には知事に権限が及ばないかもしれない。当然公文書公開請求に基づき担当部課長で処理できる問題であり、公文書を公開すれば終わっていたはずである。また担当された上司も公文書破棄の指示は当然出す必要がなかったはずである。しかし、「公開できなかったこと」「公文書不存在と発表したこと」は紛れも無い事実である。

 当時の長野県の実態はどうであったか。すべて田中知事に報告し、知事の決済が必要とされていた。公文書破棄に至るまでをタイムリーに、克明に報告されているメールが、知事に送付されていた事実を見ただけでも明らかである。
その実態を考慮しないで現実の結果のみを検証し判断するのは間違っている。それでは「トカゲの尻尾きり」のみで終わってしまうだけである。職員を犠牲にして自分は法的に問題がないからと言って逃れるわけには行かないだろう。暴対法も組員の行為は、組長の暗黙の指示の中で行なわれるとして、組長にも責任が及ぶ昨今である。自治体においても膨大な権力のある知事等が、「知らぬ 存ぜぬ」と責任を回避することはあってはならないし、220万の県民を欺く県政手段を許すことは出来ない。

 ある報道では「知事選が迫っていたこともあり、政争の具と受け止められたことは否めない」と指摘していた。この報道機関も現況を正確に把握されていない結果での報道である。確かに12月までに結論を出したいと始まった百条委員会であったが、大幅に遅れたしまったことも否めない事実である。当初民主的かつ平等に尋問をするべきと、委員に時間を平等に割り振り尋問を行なった経緯はある。そのことによって重複した尋問も重なり日程が延びてしまったこともあった。更に調査を重ねるたびに新たな疑問や事実も発覚し、多くの証人を呼び尋問をしなければならなくなったことも事実である。せめて知事選挙に影響のないようにと、2月定例会には結論を出すべきと精力的に委員会を開催してきたことも事実である。最初から知事選挙に影響をと考えて百条委員会を設置したものではなかったはずである。客観的情況をよく把握されて報道するべきであろう。むしろ「政争の具」と言わしめたことは報道機関ではなかったのか。

 もし、知事選挙に影響があったとするならば、百条委員会で調査された事項も含め、知事の日常の県政運営に「NO」と判断した県民がいたと言うことである。それは選挙民として正しい判断を下したことになる。

 県職員の多くは権力者・田中知事の意向を、日常の業務の中で仕方がなしに受け入れ、本来の正義を押し殺して執行の手伝いをしていたのである。それは職務義務があるからである。それを拒否して職務義務違反で解雇されれば明日からの生活が窮するからである。その位の事は平気で行なう知事であったからである。(一部ではそのようなことをほのめかされた職員もいたと聞いている。頻繁に行なわれた理由の分からない人事異動を見ても脅威を感じていたはずである。)

 県政の透明化を重い課題に残したのは、紛れもなく田中知事であったはずである。このような結果は検証委員会設置の段階で読まれていたはずだ。県知事を辞めるに当たっても尊い県費を使って、自分を正当化させる手段こそ糾弾するべきではないか。いずれにしても長野県民が知事を県民の意思によって審判を下されたからには、後は臭い物に蓋をしたままでよいと済まされる問題ではない。ここは外野からものを言うのでなく、捜査機関や司法の結果を静かに待つことが賢明ではないだろうか。

 県政の透明化は本来、田中知事が反省の念があれば既に再発防止の策をしていたであろう。不透明な県政運営の行為を認めない田中知事の元では無理な話である。透明化の重い課題は田中康夫氏個人が今後の人生の中で背負っていくことであろう。知事が交代した時点で透明な県政となり、再発防止は速やかに行なわれることであろうと思う。