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何とかしたい、楽しみのあとの散乱したごみ

私の意見 

 15日 同僚の金子ゆかり議員のはからいで諏訪湖花火大会を、創志会の仲間と初めて桟敷席で見させていただいた。感動の連続で素晴らしいひと時をすごすことができた。この諏訪地方はこの諏訪湖花火大会や御柱祭など、全国的にも有名なイベントや祭が開催されている。この影には多くの皆さんの支えと、伝統を受け継ぐ心があってこそと、地域の皆さんの熱意に頭が下がる思いである。

 腹の虫が切れるほど(?)五体に響き渡った花火の轟音と、夜空に広がった美しい色鮮やかな大輪が、自分の脳裏にはち切れんばかりに納め、その余韻を残しながら桟敷席を後にした。その帰りに驚いたことは、至る所に楽しみながら飲んだり食べたりしたはずのビンやトレイや袋などが散乱していた。自分だけ楽しめば後は関係ない。おそらく誰か掃除してくれるだろうなどとも思っていないだろう。若者だけとはいわないがマナーの悪さに情けなくもなり、素晴らしい余韻を打ち消すような光景を見て心を痛めた。

 次の日のニュースの中でボランティアの皆さんが、朝早くから大勢が参加され後片付けをしている姿を見るに付け、一層悔しさが増してきた。確かにごみの袋を持って歩くのは恰好が悪いと思っているのかもしれない。しかし大会本部でも「最寄りの出口に用意してある回収所に入れてください」と言う内容のアナウンスがされていた。ものの数秒間の作業をすれば出来ることである。みんなが汚していくから私もでなく、私から率先して片付けて帰ろうと思って欲しいものである。しかもせめて、他の人の分までもしなくも、「自分の食べたり飲んだりした分だけ」を片付けてくれればすむことである。

 教育だとか躾だとか語っていても拉致があがらない。もちろん長い将来のために即刻それらを教えていくことは、真剣に取り組んでいくべきではあるが。今できることは、社会全体でそのイベントや祭に参加した人達が、勇気を持って「自分の出したごみは片付けていこう」と声を掛け合っていくことが必要ではないか。根気よく粘り強く、繰り返し一人でも多くの人が声を掛け合う運動をするべきではないか。自らが体験して初めて、当たり前のことであるが清掃に協力できた爽やかさが、その人の体に染み付いていくものと思う。最初はいやいやながらでも良い、繰り返し実践することで片付けることが当然となって来るのではないだろうか。

 特に若者の場合、散らかしたままで誰が片付けてくれるのかも考えない『この行動』は、将来自分の子供たちに片付けなさいと言えるのだろうか。今すぐどこの地域のイベントや祭などの際、お互いに声をかける運動を起こしていこうではないか。普段は他の国から見ればごみも少なく美しい周囲の環境である日本、イベントや祭のときだけは特別扱いにすることはない。悪しき慣習は改めていくべきである。私は常に袋を小さくたたみ携帯するよう心がけている。これからは私も率先して声をかけていくことにしたい。