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選挙中の訴えは約束ではないのか

私の意見

 10日 またまた、久しぶりのブログアップとなってしまった。9月定例会以降、委員会や議員連盟等の県外視察・調査、歯科保健推進条例(仮称)制定検討調査会・森林祭などの各種会合行事に終われた日が続いた。昨年から1週間ほど早まった11月定例会も間近となってしまった。定例会に向けて一般質問の調査活動などをしているものの、中々集中できないこの頃でもある。

 他人のせいにするつもりはないが、質問をしようとする課題に入り込むと、必ず財源の問題を含め国の方針が定まっていないことが多く、県の知事をはじめ理事者側は「国の方針が定まっていないため・・・」となるだろうと答弁を想定してしまう。県民の皆さんや私どもが求めることが期待できないことになる。となると次に進まなくなってしまう昨今である。

 そんな状況のなか当事者である国会のやり取りが気になり、その結果を新聞テレビ等報道によって結果を知るしか方法がないことも、落ち着かない毎日の原因でもある。少しでも明確な答弁(政府・総理)がと思うが、どうも逆に鳩山総理をはじめ各大臣の勝手で、不明確で迷路に入り込むような答弁が目立つ。

 特に最近、気になった答弁(鳩山内閣の考え方)をあげてみたい。選挙中に訴えたこと(公約)とマニフェストと異なることが多いが、そのことを指摘されると、選挙中の公約は約束に該当しない、と言うような発言をされていた。「それはないだろう」と思わず一人叫んでしまった。国民(選挙民・有権者)は、候補者が街頭演説等で訴えている内容に賛同し一票を投じている人も少なくないはずである。それを選挙が終わったとたん、選挙中に言ってきたことは公約でも約束でもないとするならば、何を信じていけばよいのだろうか。あまりにも国民を愚弄していることになる。

 このように矛盾していること、府に落ちないことなど沢山あるが、本日はこの辺にしておきたい。いづれにしても、鳩山政権では無駄をなくそうとして努力していることは大いに評価している一人である。しかし、その手法は大人気ない面が多々ある。誕生したばかりの政権を傍観者的に非難するつもりはないが、単なる前政権からの現状を「変えなければならない」と言う意識過剰な政権運営はいただけない。衆院議員も参議院もほぼ安定多数を得ている状況の中で、もっと大人の考え方と冷静さを持って政権運営にあたって欲しいものである。

 地方の県議会議員の一人として目の前の「悪しき鏡」を、自らを映し出された鏡として、初心に戻って議員活動をしていかなければならないと、思わぬところから意を質すこともできたところである。