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知事は肩の力を抜くべきだ

私の意見 
 1日 政治の世界は国政であろうと県政であろうと、また市町村政にあっても基本は変らない。ただ、議院内閣制か二元代表制かの違いはある。実はこのことが国民の皆さんは政治の仕組みは同じだと思っている。そのことが、地方議会においても国会と同じように、首長選挙で当選者に支持したかしないかで与党議員、野党議員と判を押したように区分けがされる。議員側も与党議員として〇〇首長を支持していく、というコメントを良く聞く。どの基準で自ら与党議員とはばかるのであろうか。マスコミが棲み分けをしているだけではないかと思う。

 私は議員としての投票行動は、一つの選挙が行われる前後の状況や、その時の大きな課題に対しどう判断していくかなどによって決まるものと思う。選挙が終われば支持した候補者が勝っても負けても、与党・野党と決め付けることはいかがなものか。選挙ゆえに、勝った喜び、負けた悔しさは当然あることは事実である。議会は支持した候補者が勝った場合、一層厳しさを持って対応することになる。それは支持したからには驕り昂ぶりや、失政を犯してもらいたくないからだ。支持した候補者でない人が当選した場合は、異なる政治姿勢をいかに理解しあう努力をしながら、県議会の場合は県民を中心に考え、県民の利益につながる県政にするため議論を戦うことになる。いずれも議員として「是々非々」の姿勢は当然のこととなる。

 まさに議会の使命として、ほとんどの政策を理事者(知事及び首長)が提案こそするが、議会において決定した施策を執行機関が、その事業の実施や事務処理が適法・適正に行われているか監視することである。この監視する立場から批判することになるが、あくまでも住民の立場に立った正しい意味での批判である。また、新しくなった首長(知事)の政治姿勢に対し追求することは、住民本位の立場からも当然の行動であると思う。その批判的議論を見て「与党・野党」と決め付けることになってはいないか。

 わが長野県では知事も新しくなり、知事と県議会との間にギクシャクした面があることは事実である。それは、支持しなかった知事が誕生したからではない。誰が当選しても余程の事がない限りは4年間県政を託すことになる。いつまでも選挙結果を引きずっていたのでは県民の利益にはつながらない。お互いの主張を正々堂々と議論しあい、いかに県民益となる結論を導きだすかである。したがって、どちらも意地の張り合いをしていてはいけない。その点議会側のほうは、既に出されている知事の公約に沿った県政方針に対し、具体的な施策など知事の考え方を明らかにする事が先決として、それに向けた行動を取ることとなる。9月定例会の代表・一般質問で、既にボールを知事に投げている。それに今の段階で応えていないからギクシャクして見えることになると思う。答えが返らなければ残念ながらこのギクシャクは続かざるを得ない。

 知事は選挙等で公約した長野県の将来に大きく左右される課題は、慎重に説明責任を果たしながら実施に向けていけばよい。そうでない場合は、あまり肩肘を張らずに強引に事を進めるべきではないと思う。どうも肩に力が這入り過ぎている感じが見受けられる。もっと肩の力を抜いて自然体に議会と向き合うほうが賢明ではないか。冒頭に触れた議会の「与党・野党」を意識しすぎるのではないだろうか。自らの県政方針、具体的施策などを、積極的に議会側に示せば、それなりの反応もあり、答えは見えてくるものと思う。議院内閣制でなく二元代表制を理解し、議会が自分の県政運営に異論を挟んでいる理由を素直に分析検討したうえで、真正面から議論展開することによって道は開けていくものと思うがいかがなものか。11月定例会には来年度に向けて県民のために、もっと実のある議論のやり取りをしたいものである。