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当時の会派幹事長として少し意見を

 9日 今週初めから長年の政治垢(?)ならぬ骨休みの旅をさせていただいた。昨日自宅に帰り新聞を手にして驚きと共に、何とも言えない複雑な気持ちになる自分を感じざるを得なかった。政務調査費関連記事で、私が所属していた「創志会」も対象例として掲載されていたからである。当時の会派幹事長として少し意見を述べさせていただくこととする。

 まずは県議選中の諸会議への交通費等の扱いは、指摘されたように慎重に扱わなければならない。4年前会派でもその当たり(選挙中の会議等の経費の取り扱い)を議論したはずである。原則、選挙活動費でもなく、また、政務調査費も活用しないほうが望ましいと結論を出したはずである。その経緯からして今回の結果は残念である。事務局職員の人件費については全く問題ないと考える、光成弁護士は、「帳簿を毎日つけていれば、翌月にまとめて処理する必要はないのでは」と提言する傍ら、「政務調査費の帳簿付けに充てるとすれば、やむを得ないのではないか」と理解も示している。(いずれも信毎から引用) この時期に宿泊の伴う会派の会議は理解いただけないのではないか。友党的な会派であるだけに残念である。

 指摘したオンブズマンは、「会計処理自体は調査研究活動とは言えない」としているが、何事も調査活動のみならず、すべての活動を行うにも経費はかかる。その一部に事務処理(会計も含む)の費用は少なからず必要になってくる。光成弁護士のやむを得ないとすることが順当な判断であると思う。ただ、光成弁護士が言う「翌月にまとめて処理する必要はないのでは」との意見には無理がある。再選してくる場合は継続となるので、会計処理の仕方によっては弁護士が言われるような処理も可能である。しかし、選挙に落選あるいは勇退した場合は、電話料・電気料など調査費の支払領収書の発行が月をまたぐ場合も多い。これらを正確に精算する場合は翌月の処理となるのは必然である。単なる通常の企業会計の発想で政務調査費の処理を論ずることはいかがであろうか。企業会計でも決算の場合は、税務署等への報告など公式発表や、県及び市町村などの行政団体の会計も同様に決算月から猶予があり、決算報告がなされている。

 通常月の会議等への政務調査費の充当については議論を要する課題でもある。現職中は中々言いにくかったが、県議会議員と言うことで、主催者側として敬意を払っていただいたり、色々と現況の把握と改善を求めるために、この機会を捉えて諸般の情報交換をしたり、などなどの思いをもって招待状を出されていることと思う。議員側としても、高橋議員が弁述しているように、入学式や各種総会に参加して、単なる〇〇議員としての売名行為で参加する議員は少ないと思う。

 むしろ、新入生や卒業生を心から歓迎したり、送別の意を送りたいなど、義務感を持って参加していると思う。理事者側は運転手つきの公用車で参加されている。これもいけないとは言わないが、主催者側も参加する理事者側も恐らく議員に対する思いや、議員が意を持って参加する思いと同じであると思う。公費を使うと言うことからして、どちらも甲乙つけられないではないか。議員は交通費などの経費を計上の際は、実費の二分の一のみを政務調査費に充てるのみである。(議員は思っていないが、議員以外の活動が含まれると言う想定からである。)したがって、入学式・卒業式・各種総会の政務調査費からの支出云々を指摘することは適切でないと思う。それをどうしても指摘されたいならば、主催者側の招待する思いなどの意見も聞く必要がある。日本の文化として招待されてすべて無視することは叶わないことである。これは私がいつも主張してきたことでもある。

 この報道は「県会政務調査費に疑問」と三段抜きで3ページのトップ記事として掲載する内容であるのだろうかと疑問を持つ。公費としての政務調査費の使い方であるだけに、慎重にも慎重に支出するべきと警鐘を投げかけることは大いに必要なことではある。私は安易に議員報酬の削減や、政務調査費の削減、不要論を述べる議員こそ、その真意を疑うものである。本当に県民の皆さんのために働くとなれば、すべて議員報酬を投げ打ってボランティアで務めることができるのだろうか。中には極々少数議員は可能な人もいるかもしれないが、4年間全うできることは困難であると思う。

 報道機関は、確実に誰が見ても法的に違反しているとする事実でない場合は、いたずらに、煽るような報道は慎むべきである。報道の仕方によっては報道機関の「記事」によって、県民・国民を間違った方向に誘導をしてしまう恐れがあるからである。これらは過去に何回となく経験していることでもあり、誘導された県民・国民はその本筋が理解されても、元に戻るまでには相当な期間が必要となる。現在の政権なども典型的な実例であろう。売れる報道でなく真実を伝える報道を願いたいものである。