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 31日 阿部知事が県政を担当して明日で1年となる。県世論調査協会が発足一年を前に県民世論調査を行った結果が発表された。いつも注目される知事支持率は、支持する・どちらかと言えば支持するとの合計は85・4%だったと言う。田中知事の支持率を超え長野県では過去最高の支持率となった。県知事の県政方針やその運営等に県民が評価している表れでもあり歓迎できるものである。ただ、「支持する」と回答した人は逆に35・5%で、前回調査より4・2ポイント低下した結果が出ている。この数字は知事や知事側近は注意深く分析していく必要があると思う。

 阿部知事はフットワークもよく県内を駆け巡りながら汗を流している様子は伺える。県民からみて目映りはよいと感じられている。この辺りをまともに受け85・4%の支持率と結びつけるとしたら、大きな落とし穴があるように思えてならない。それは田中元知事の場合と村井前知事の世論調査結果においても分かるように、県民の皆さんは知事の県政運営等についてはそう理解していない。田中元知事のようによいか悪いか分からないが、とにかく目に映る機会が多いのでやってくれているのではないか。だから「どちらかと言えば支持」。村井前知事の場合は、田中県政により起因した県政の歪を解消するために、制度の見直しなど努力されたがあまり正面に出なかったため、県民から見れば目に映る機会が少なかった。だから「どちらかと言えば支持しない」と言うことになる。パホーマンスが上手の知事のほうが支持率は上がる傾向である。

 決して阿部知事を非難しているのではない。支持率の数字だけで満足して浮かれてはいけないと言いたいのである。要は阿部知事が掲げる政策の中身と、県民に分からないところで行われている県政運営の仕方、いわゆる県庁村の知事の采配行動こそが、支持率に表われない県民益につながる大事な要素である。数字だけに踊らされないよう2年目を迎え、一層気を引き締めなおして県政にあたっていただきたいものである。

 知事を良くするも悪くするも県職員だけではない。県議会議員こそがしっかり県政課題を常に重視して果敢に議論を戦わせることによって、知事も良好に評価されるが、一番求められている県民の福祉向上につながることを忘れてはならないと思う。県民の皆さんが「よいか分からないが、まあ~良い方だろう」と映っている知事を、85・4%も県民から支持を得ているのだから、この程度のことは良いとか、安易に妥協や数字に惑わされて盲目的容認にならないよう注意するべきである。長野県の県政課題も多いだけに、阿部知事の2年目を迎え県と県議会の両輪を上手に回転していただきたいことを願いたい。

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 29日 民主党の代表が野田佳彦財務大臣に決定した。国民が納得できるような政策論争はなかったが、この2日間の共同記者会見や各テレビ討論、民主党代表選挙の所信表明などを見聞きしたが、主張の中身はともかく自分の考えを明確にぶれないで話をしていたのが野田候補者であった。一方海江田万里経済産業大臣は、自分の考えでなく、バックにいる小沢御大の意を損なわないように、今まで主張してきた意見をころころ変えていた。まるで大変な情況におかれている国政を他人事のように、多くの人の意見をお聞きしてとか、多くの皆さんで結論を・・・などと話されていた。これでは日本の国の舵取りは任せられないと思った。自民党サイドから見れば海江田万里候補が代表になればとひそかに思っていただろうと思う。

 私ももし民主党の代表選挙の会場にいたならば、野田・海江田両候補者の演説を聞いていれば、第1回目にたとえ他の候補者に1票を投じたとしても、決選投票では野田候補者に1票を投じたであろう。そのくらい演説の内容に差があり、海江田候補者の演説に本当に日本を救っていくんだと言う意気込みが全く見えなかったのである。現在投票権のない小沢院政内閣にならなかったことはよかったと思う。民主党の内輪もめや分裂行動に展開することなどは、この際どうでもよいことだが、そのことによって国政が国民不在の展開になることが心配である。それぞれの候補者が主張していたように、先ずは挙党一致で事に当たっていただきたいものである。

 仮に解散総選挙となっても、受け皿となるであろう自民党も派閥間など、お家騒動がくすぶっており、本当に日本の国の国会議員はどこを向いて仕事をしているのだろうか、と映るのは私だけではないと思う。国民の皆さんも簡単に「一度やらせてみたら」の考えで投票した結果の損失や歪を、単なる結果は「やはりダメだったか」だけと終わりにすることなく、大事な「選挙の一票」を無駄にしない投票行動を望みたいものである。ともかく当面は、明日95代総理大臣に就任することになる野田新総理の強いリーダーシップに期待したいものである。


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 27日 「永すぎた春」と言う映画があった。主人公の郁雄と百子は会社の重役をしている郁雄の家と、古本屋の百子の家の格式の違いを郁雄の両親は最初問題にしていたが、大学を卒業してから結婚するという条件で郁雄は説き伏せ婚約した。二人は清い関係で、結婚まではそれで満足だった。しかし、二人の間柄が公認されすぎると、何か物足りなさを感じ出したのも事実であった。試験が終ったある日、郁雄は友人の画家高倉の個展で商業デザイナー本城つた子と知り合った。始めのうちは郁雄も問題にしなかったが、やがて彼女によって抑圧されている自分の性を、結婚までの間満たそうと考えはじめ…。郁雄の危機が始まっていくのである。菅総理がようやく正式に退陣表明をした。例えの対象にしては失礼かと思うが、私は何故か情況が通じるような気がしたのである。

 退陣表明した菅総理について、,国会議員も国民も「遅きに失する」の感で振り向く気にもなれない人が多い。自分が日本の総理大臣として国民に目線を向けて仕事をしてきただろうか。自分の延命のために、知識もないのに知った振りをして次々と軽口を放言し、国政を混乱させた責任は大きい。その間に外国では日本を信頼できるパートナーでなく、相手にもしたくないという日本の存在感が薄くなりつつあることも重要だ。何としても3・11の大震災の復旧復興は、自分では評価しているが後手後手で何一つ結果が見えていないと国民は大多数は感じている。ようやく退陣したがその後継は・・・、これまた頭が痛くなる。

 小沢元代表も26日になり代表戦に対し最終結論を出した。確か「この次の代表は誰がなっても同じ」と言うような発言をしたと記憶している。それでも自分の言うことを良く聞いて党運営や国政をしてくれる人を模索していた。日本や国民のためではなく自分の利益のために、消去法で自分が操れる海江田経産相に決まった。私も報道の上で知るすべもないが、海江田候補も決断力のない人という印象がある。菅総理と閣内で意見が異なったと場合でも、堂々と経産大臣の立場で日本の経済と国民の安定生活を考えた上での結論を、いとも簡単に打ち消されても、ただ黙り続けていた。日本の精神文化では「忍」は称賛に値するとされているが・・・。

 しかし国政に携る日本の経済産業を預かる担当大臣として自信を持って結論を出したことに対し、胸を張って総理に意見を述べるべきではなかったのか。そのことによって仮に同じ結果であっても菅総理は、「脱原発依存」「浜岡原発の運転停止」等々の詳細説明を国民に明らかにせざるを得なかったと思う。それもさせる事ですらでき得なかった。しかも、本気で思ったかは定かではないが、担当大臣として提出した議案が可決されるまでと言う考えも分からないわけでもないが、辞任をするといいながら結果的に26日になって辞職願を出しても受理されなかった。この場に及んでは誰が総理でも受理することはないだろう。海江田大臣も「遅きに失する」判断しかできなかった。

 それらを追求されれば国会の委員会で、悔しさのあまり?号泣する。この人に日本の将来を、将来ばかりか現状の国政安定のための指揮官を任せることができるのだろうか。決して他の候補者であればよいといっているのではない。自分たちで選ぶことができないが、正直信頼できる該当者はいない。しかも、このような人を次期総理となる民主党代表候補者として、支援するとした小沢一郎元代表の政治手法に憤りを感じる。「永すぎた春」の例をあげてみたが、今後の国政運営で事あるごとに、時期(タイミング)に遅れて役に立たない「遅きに失する」と、同じ言葉が出ないようにしていただきたいと、ただただ願うばかりである。

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 23日 菅首相の退陣もようやく決着を見られる情況になった。色々と苦言をと思ったが「本当にやめることになる」であれば溜飲を飲み控えておくことにする。ただ、菅首相の思惑が退陣表明以来、次々と退陣条件を突きつけ、最後に平成23年度第2次補正予算案、特例公債法案、再生エネルギー特措法案の、いわゆる菅首相の退陣条件の3案件は、自分の不利を逆手にとって、本当に日本の現況と将来を考えて戦術的行動であったのか。もしそうであれば、多少なりとも評価をさせていただくが、残念ながら足掻きであったように思えてならない。いたずらに国政や日本経済、震災の復旧復興を遅らせた罪は大きいと言わざるを得ない。

 民主党では次期日本の首相となる代表選挙に、大勢が名乗り出て代表戦も加熱してきた。しかし一向にこの日本の窮状をどのように打破していくのか、その道標が見えない。代表に挑む候補予定者から政策らしい政策が見えてこない。マスコミもようやく「代表戦で政策論議を深めよ」と報道し始めた。代表選出までの日程が少ないと予定されているだけに、一層のこと出馬予定者は国民に自らの政策を堂々と発表するべきである。それでも国民は次の首相を直接決めるために参加できないのである。

 本日の報道を見ても円高の影響で自動車10社だけで、株式の時価総額が20兆円を割ったと発表された。大変な額である。よくも企業活動ができているなと驚くばかりである。ちなみに、政府がまとめた震災復興費は、震災で損壊した設備や道路などの直接的な被害額を16兆~25兆円と試算をまとめている。東京電力の福島第1原子力発電所の事故や計画停電の影響を含んでおらず、被害額はさらに膨らむ見通しである。10年以上も欠けて復興しなければならない復興費と匹敵する額が、自動車産業10社だけで企業が大きな失敗をしたわけでもなく、円高・ドル安などの市場経済等で1ヶ月足らず損失を被っているのである。

 このままでいけば本当に日本の産業は海外に流れ、日本全域で雇用のバランスは崩れ、失業者が溢れてくる。日本の経済を牽引してきた中小零細企業は壊滅となる。時に海外に拠点求めた企業がいずれ日本に戻ってきたとしても、日本の技術も経営ノウハウもすべて海外においてくることになる。日本経済はその置いてきたアジア諸国の安い労働力と、与えてきた日本の技術等に市場を寡占されてしまうのではないか。代表戦はやむを得ないことであるが、その代表に挑戦しようとする候補予定者は、もっとこの日本の窮状を認識したうえで、国民に自分の政策を熱く語っていただきたいものである。

 

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 19日 リニア中央新幹線はJR東海からCルートと発表され、県内中間駅の設置場所について論議が活発になっている。南信州広域連合では、JR東海が配慮書で示す郊外型の駅位置に対して、JR飯田駅併設がベストと強調されている。その上に、中間駅位置をめぐる同社との主張の違いについて、広域連合長でもある牧野市長は、国や県に対し「どう認識し、考えるか」と述べ、県に調整を願う姿勢を示している。

 リニア中央新幹線のルート問題については、関係地域はもとより県議会においても活発な議論が展開されてきた。一時は県議の間でつかみ合いの喧嘩になりそうな、感情むき出しの険悪な情況になったこともあった。長野県では諏訪市・松本市といった中信地域にメリットの見込める伊那谷ルート(Bルート)で建設されることを軸とし、他の地域にも配慮した県内に複数の駅を設置することなどを強く要求していた。Cルート案側はそのような県全体を配慮した姿勢は見せず、あくまでも飯田駅周辺駅を含め推進をされていた。

 その後、当時の村井知事もそれぞれの地域の意見を配慮して、あえてこれまでのようなBルート案での建設を押す意見を控え「我々は専門家ではない。ルートをこうしてくれと言う立場にない。きちんとした見解が出れば、関係者の理解が進む」と述べるなど、あくまで専門的な検知者に更なる納得のできる材料の提示を求め、それらが示した案を容認するような方向を示した。

 ルート案をみる限り誰が見てもCルート案のほうが自然に見え妥当性があった。しかし長野県全体の発展を考えたときに、ルートが決定しない情況においては、当然ながら県が意思決定してきたルートを推進することは間違っていなかったと思う。ここにきて、JR東海がルート案を発表し、リニア中央新幹線計画の県内分の環境配慮書を提示し、事実上のルートが決定したことになった。推進してきたお互いの考え方、活動の方針も仕切り直ししてもよいのではないか。

 Cルート決定後も、南信州広域連合が飯田駅周辺をあくまでも主張されていることも理解できないこともないが、実際に飯田駅周辺に新駅の建設地が確保できるのだろうか。また、もう少し県全体のことを考慮して、郊外型設置案も真剣に視野に入れて検討するべきではないだろうか。Bルートを推進してきた地域はルートが決定した現在、リニア新駅に向けての道路・鉄道のアクセス整備の要望に切り替えてきている。妥当な考えだと思う。いつまでもエゴ的なごり押しは県全体から見てよい感触を受けるものではない。更には、ルート決定前は県が調整に入っても、全くCルート一本で聞く耳を持たなかったCルート推進側は、今になって県に調整に入ってもらうということは如何なものだろうか。ここはもう少し冷静に考え、長野県全体を考えた推進活動を行っていただきたいものである。

 

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  17日 昨日私が相談役として関与している弊社のお客さんから電話があった。水周りの設備修理の依頼であった。修理の担当者は決まっていたが、お盆の16日何かと用もあるだろうと思い、昔体で覚えて技術も役に立てられたらとの思いで出動した。出動先は川上村の別荘であった。今日はその修理の話ではない。そこのご主人と話をしていたら、東京の家を引き上げ沖縄に行くとのことである。それでしたらこの川上にお住まいの拠点を持ってこられた方がよいではないかと尋ねたら、実は川上村も「放射線量がいつもより多かった、だから長野県でなく沖縄に逃げるのです。」との答えが返ってきたので驚いた。

 私は放射線量の値を聞かなかった。聞いても分からないからである。疑問に思ったことは、もし危険に値する放射線量の数値であるならば、ここに住んでいる川上村や私を含む南佐久の住民の皆さんはどうすればよいのだろうか。この南佐久地方の放射線量の数値は危険だという話は聞いていないし報道もされていない。更にお聞きしたら、自分でたまたま震災直前に計測器を購入し、自分で計測したとのことである。この山荘のご主人の判断だから、私がとやかく言うことでもないと思ったが、ただ何故このような失礼ながら過剰と思われる判断と行動を起こされるのだろうか。起こさなければならないのかと思った。

 やはり原発事故以来の正確な情報が国民に伝わっていないことが要因と考えられる。TVでも「〇〇地区での□□食品は放射線量が××マイクロミリシーベルト検出された、しかし飲食には問題はありません」というようなニュースが流れたことを思い出した。情報の開示・事実の報道は大いに賛同できるものである。しかし、どこの水準までの数値が安全で、危険値はどの数値からなのかは伝わってこない。これでは国民は不安がつのるばかりである。ここでも国の政治の脆弱さと言うか、国民の安心安全を考えた政治が行われているのか疑わざるを得ない。

 想定していなかった事故ゆえに、どこまでが安全基準としてよいのか分からないといわれるが、少なくとも日本の原子力発電所は世界一安全だといわれている。であるならば、設計・建設にいたるまであらゆるシミュレーションを重ね、安全基準の数値は分かっているはずである。いや、それより以前に、世界の唯一被爆国である日本が原発開発する研究上において、放射線量の安全・危険の数値は当然理解把握したうえで原発を推進してきたはずである。

 一日も早く安全基準を示し、ここの数値までは危険ありませんと、はっきり国は基準値を示すべきである。更に危険でないとするならば、いたずらに不安を煽るような報道発表を控えるべきではないか。送り盆の日、麦わらを燃やしながら、「安全でお帰り願い、来年もお出でください」と麦わらの煙と線香の白煙に託し、お迎えしたご先祖様の精霊をお送りしながら、安定した信頼できるまともな国政をつかさどって欲しいと、心から願った一日となった。

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  12日 今日は企業にとっても今年の前半の一区切りをつける日だ。明日からの盆を迎え、やりかけた仕事の整理、企業の目標達成度の検証、盆中の安全対策、盆明けの軌道修正の如何、などなど多くの課題を一つ一つ改善していく切替の日でもある。日本には盆暮れとよい意味での素晴らしい文化歴史がある。この文化を有効に活用していくのも企業人ばかりでなく私たちの役目でもある。
反省・検証・改善の繰り返しこそ、新たな発想と快適な社会の建設につながるからである。

 反省・検証・改善の結果生まれてきているのが、アウトソーシングの考えだ。企業では自社で行っていたことの見直しにより、社外の専門分野の企業に事業の一部等を業務委託することだ。企業はこれを行うことによって、自社の中心的業務に経営資源を集中させることができ、全体として業務コストを削減することも可能になるということだ。いわゆる無駄をなくし経費の削減も目的の一つと言われている。県では「指定管理者制度」として、アウトソーシングと同似的考えの下で、地方自治法が一部改正されたことに基づき、この制度を取り入れている。民間事業者等のノウハウや活力を活かしながら、利用される皆様へのサービスの向上を図るとともに、管理運営経費の節減等に努めることを目的としている。

 この制度を有効に活用することには異論を挟むものではない。私も積極的に活用するべきと主張してきた一人である。現在県では30余の各種施設等でこの制度を導入している。制度を導入して7年目を迎え、もう一度検証するべきときかと考えられる。それは、何故指定を受けた管理者が継続を拒否が多くなってきたか。しかも県が管理していた時より、指定管理者に移行して成績も良好な管理者が更新を拒否しているのである。このまま受け手がいなくなれば再び県が管理することになり、経費の増額が予想されることになる。

 指定管理者が更新拒否をする理由は色々あるが具体例を挙げる前に検証するべきことがある。それは、県が指定管理者を導入する以前に、該当施設の必要性など施設の設置目的が、設置した当時と30~40年経過し現況にマッチし必要とされているのか、先ずそれらの検証が必要ではないのか。県が設置し管理運営することの目的が達成されているとするならば、その施設の継続することの必要性を論じなければならないと思う。
目的が達成されたとするならば施設の民間への払い下げや、老朽施設の取り壊しなどの決断をするべきである。

 県が設置目的どおり施設の継続をするべきと判断したならば、施設の改修などを行い指定管理者に余計な負担をかけるべきではないと考える。また、単純に前年対比〇〇%減で契約すると言う方式を改善するべきである。それは、指定管理者を受けた企業が民間の豊富なノウハウを活用し、企業努力した結果施設の事業を好転させると共に経費削減につながった。その事業報告の結果に基づき更新の折に重ねて経費を、前年度〇〇%減の削減を求めることは、企業としても努力の成果も認められず企業としての当然の利益も損なわれることになる。更に老朽化した施設の改修も県に要求しても結論が出ない情況が続くとなれば、引き続き請けた施設の管理に意欲も失われることになる。。

 老朽化している施設の有効活用し、事業の改善を図るには施設の改修も欠かせないことである。だからこそ、県はその施設の事業目的が現在の時代に必要としているのか検証し、必要であるとするならば施設改修なども計画的に実施していくことが求められるのである。私は30~40年以前の時代に必要とされた施設であっても、現在では不要と思われる施設もあると思う。仮に必要とされるのであれば、県が施設を持たなくとも民間施設を利活用し、運営費の補助を出すことの方がよほど経費削減につながる場合も考えられる。

 民間企業に無理な委託をし、企業の業績を悪くさせることのないようにすることも県は考慮するべきである。企業の業績が上がってこそ地域の活性化や雇用対策につながるものと思う。制度を導入して7年目を迎え施設の設置目的を含め、今こそ根幹の議論が求められているときではないだろうか。

 

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  9日 8日県政ながのが主催する「長野県の明日を語る会」に参加した。懐かしい仲間との出会いも期待して参加したが、向山会長以下それぞれの議員から、県政の課題が次々とだされお互いに活発な意見交換ができた。この仲間がいる限りは大きな間違いは生じないだろうと思った。ただ議会改革にいたっては、些かトーンが落ちた。決して改革の意識ややる気がないということではない。改革は一気にやらなければならない課題と、時間をかけお互いの利害が絡む課題を、どう理解しあって互いの意見を尊重しながら痛みを分かち合えるか、どちらも粘り強い交渉術を持って臨まなければならない。それには腹がくくれるいやな話も受け入れられる度量の多きい仲間が必要だからである。議会改革について悩まれることは、改革に向けて強い意志があると言うことであり、今後に期待したい。

 県政課題は国の方向が定まらない現況でやりにくい面もあるが、長野県の将来を語るとき、もっと議論を重ねていかなければならない課題が山積している。高校問題も再編計画も概ね進んできている。ただ、統廃合の対象高校については、計画されている科目や特色ある高校づくりのために、地元地域の産業とどう結び付けていくのか、短期間でまとめ上げなければならない問題がある。特に実業高校(農業・工業・特殊科目など)は喫緊の課題である。高校教育一つとっても課題をまとめていくには時間が不足するのではないかと予想もされる。

 指定管理者制度も指定を受けていた企業が更新を嫌う情況が出ている。県がやるべきこと、やらなければならないことなど含め、根幹から検討する必要もあろう。(この問題は近日中に考えを述べたい) それぞれの委員会で、将来にかかわる県政課題については、閉会中に地道に調査研究に研鑽されることを期待したい。これは単なる一つの会派だけの問題でなく県議会全体の問題である。久しぶりにやや遠くなりつつある県政課題の論議に、夜のふけるのを忘れて語り合えた。企画していただいた皆さんに感謝しつつ、かつての仲間との「長野県の明日を語る」語り合いを振り返ってみた。

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  5日 ちょっと前の事例で恐縮であるが、2ヶ月ほど前の6月3日に県は「平成23年度知事表彰の実施について」プレス発表した。顕著な功績を挙げられた人となっている。少なくともほとんどの人は、それぞれの分野で地域においてご活躍され、県全体に対しても多くの貢献をされた方であろうと推察される。心から長年にわたるご活動に感謝し表彰を受けられる者にお祝い申し上げるものである。「少なくともほとんどの人は」と記載したことは、些か疑問に思われる人もおられたので敢えて記載したのである。

 青少年健全育成功労者である。ただ長年その職責を務めた者というであれば異論はない。しかし、顕著な功績を挙げられたとなると異論を挟みたくなるのである。顕著な功績とは、やはり地域に根ざした活動を地域の皆さんと共に実践し、地域の皆さんの誰もが、あの方なら当然だと言う声が上がって不思議ではない。しかし、今回は「えっ、何故〇〇さんなの」との声のほうが多い。地域では〇〇さんを知れば知るほど何故表彰を受けられるのだろうかと疑問に思う。

 地域の組織から選出されて県の要職つかれているのではなく、地域の母体となる組織からでないだけに、余程ご本人が意識的に自主的活動をしなければ、地域の皆さんが尊敬に値する人と容認できることにはならない。地域で本当に青少年育成活動をやっていたのだろうか。地域での活動は皆無と言ってもよいのではないか。確かに関係する会議には出て行かれているのであろう。顕著な功績とは会議に出ることではない。地域で率先して汗をかき地道な活動を重ね、誰に問うても「あの方なら当然表彰を受けられて当たり前だ」と言う声が自然に出てくるはずだ。

 表彰を受けられた皆さんを妬んだり、水をさすつもりは毛頭ない。しかし、名誉欲だけで長年同じ会の役職を続けていたからとして、安易に対象にするべきではないと思う。知事表彰は本当に県民の皆さんのために尽くされ、誰もが心から敬意を表し尊敬される人でなければならない。まさに栄誉ある表彰であるはずだ。表彰の基準等もう一度見直し、安易な表彰は見直すべきではないかとご提言させていただく。

 

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 4日 先ごろ平成23年版防衛白書が発表された。その中で中国の東シナ海等において海洋覇権拡大をしていることに対し強い懸念を示している。更に周辺諸国に対する中国に示す姿勢を「高圧的」と指摘し、中国海軍等の活発な活動を「常態化」していると報告している。白書ではこのように中国の行動を脅威的と捉え懸念を鮮明にしている。納得できないのは、であるのなら何故尖閣諸島沖の衝突事件をうやむやにして、明らかに衝突を仕掛けてきた中国船の船長を、日本の法律の下で処罰もしないで返してしまったのか。

 しっかり日本の立場と姿勢を示さないで、今更改めて中国の姿勢を「高圧的」だ、活動を「常態化」だと記載する日本の考え方のほうがおかしい。白書の中で活字をもって異論を述べる前に、起きた事実を徹底究明し国内外に、まさに中国の高圧的で異様な行動を明らかにし、日本が正当な行動と事件処理をした立場を知らしめるべきではないか。ちぐはぐで曖昧な日本外交に国民は嘆いていることであろう。いや、少なくとも私はそう思う。民間では日中友好協会などを通じ積極的に友好努力をしているが、曖昧外交の下では逆に中国敵視感が働き、協会事業に参加しにくくなるのも現実的な課題でもある。

 総理を辞任すると言いながら重要政策を次から次へと打ち出す菅総理、それを制度上とはいえ何も手を打てない与党と内閣の閣僚、それをじっと我慢しているのかあきらめているのか分からない国民。本当にどうなってしまうのだろうか。日本はこのままの情況が続けば、日本の経済も国家も崩落の一途をたどることにはなりはしないか。アメリカが国財政の債務不履行を何とか回避した現在、日本も経済面で救われたのである。今度は日本の番である。何とか改善のために国会は真剣に取り組んでいただきたいものである。外交も内政も素人集団的政治を打破し、本当に日本国民の安全と幸せを実現できる政治集団を、与野党共に求めたいものである。

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