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再び「遅きに失する」ことのないように望む

 27日 「永すぎた春」と言う映画があった。主人公の郁雄と百子は会社の重役をしている郁雄の家と、古本屋の百子の家の格式の違いを郁雄の両親は最初問題にしていたが、大学を卒業してから結婚するという条件で郁雄は説き伏せ婚約した。二人は清い関係で、結婚まではそれで満足だった。しかし、二人の間柄が公認されすぎると、何か物足りなさを感じ出したのも事実であった。試験が終ったある日、郁雄は友人の画家高倉の個展で商業デザイナー本城つた子と知り合った。始めのうちは郁雄も問題にしなかったが、やがて彼女によって抑圧されている自分の性を、結婚までの間満たそうと考えはじめ…。郁雄の危機が始まっていくのである。菅総理がようやく正式に退陣表明をした。例えの対象にしては失礼かと思うが、私は何故か情況が通じるような気がしたのである。

 退陣表明した菅総理について、,国会議員も国民も「遅きに失する」の感で振り向く気にもなれない人が多い。自分が日本の総理大臣として国民に目線を向けて仕事をしてきただろうか。自分の延命のために、知識もないのに知った振りをして次々と軽口を放言し、国政を混乱させた責任は大きい。その間に外国では日本を信頼できるパートナーでなく、相手にもしたくないという日本の存在感が薄くなりつつあることも重要だ。何としても3・11の大震災の復旧復興は、自分では評価しているが後手後手で何一つ結果が見えていないと国民は大多数は感じている。ようやく退陣したがその後継は・・・、これまた頭が痛くなる。

 小沢元代表も26日になり代表戦に対し最終結論を出した。確か「この次の代表は誰がなっても同じ」と言うような発言をしたと記憶している。それでも自分の言うことを良く聞いて党運営や国政をしてくれる人を模索していた。日本や国民のためではなく自分の利益のために、消去法で自分が操れる海江田経産相に決まった。私も報道の上で知るすべもないが、海江田候補も決断力のない人という印象がある。菅総理と閣内で意見が異なったと場合でも、堂々と経産大臣の立場で日本の経済と国民の安定生活を考えた上での結論を、いとも簡単に打ち消されても、ただ黙り続けていた。日本の精神文化では「忍」は称賛に値するとされているが・・・。

 しかし国政に携る日本の経済産業を預かる担当大臣として自信を持って結論を出したことに対し、胸を張って総理に意見を述べるべきではなかったのか。そのことによって仮に同じ結果であっても菅総理は、「脱原発依存」「浜岡原発の運転停止」等々の詳細説明を国民に明らかにせざるを得なかったと思う。それもさせる事ですらでき得なかった。しかも、本気で思ったかは定かではないが、担当大臣として提出した議案が可決されるまでと言う考えも分からないわけでもないが、辞任をするといいながら結果的に26日になって辞職願を出しても受理されなかった。この場に及んでは誰が総理でも受理することはないだろう。海江田大臣も「遅きに失する」判断しかできなかった。

 それらを追求されれば国会の委員会で、悔しさのあまり?号泣する。この人に日本の将来を、将来ばかりか現状の国政安定のための指揮官を任せることができるのだろうか。決して他の候補者であればよいといっているのではない。自分たちで選ぶことができないが、正直信頼できる該当者はいない。しかも、このような人を次期総理となる民主党代表候補者として、支援するとした小沢一郎元代表の政治手法に憤りを感じる。「永すぎた春」の例をあげてみたが、今後の国政運営で事あるごとに、時期(タイミング)に遅れて役に立たない「遅きに失する」と、同じ言葉が出ないようにしていただきたいと、ただただ願うばかりである。