現在位置:ホーム»としみつTime'sトップ»記事一覧ページ

 17日 思わずテレビの画面から目をそらし、今見た現実を間違いであって欲しいと思った。尖閣諸島の領土問題は歴史的に見ても日本の領土であることをまず主張しておきたい。その上で、中国における反日デモ、デモそのものが中国国民の意思で行われることは否定するものではない。しかし、テレビを通じて流れる映像はデモでなく暴徒だ。国家間における個々の問題で意が異なることはあるが、意が異なるからと言って中国内で中国の経済生活に貢献している日本企業に、デモで破壊活動することは断じて許されるものではない。

 中国政府関係者はデモ隊に冷静に行動を取るようにと訴えているものの、日本大使館に石やペットボトルを投げ込んでいるのを、数千人の警察官がただ眺めているだけだ。日本では即刻器物損壊等で現行犯逮捕となる。まして、日本人が経営する商店やデパート、ホテルや飲食店、日本車や工場、すべてを破壊し放火までしているのに中国政府や治安関係者は見てみぬ振りをしている。これが世界2位となる経済大国の責任ある治安情況なのである。まさに無政府状態だ。全く怒りを通り越す心境である。被害を受けた日本企業にどのような弁償を考えてくれるのか。

 私が小さな怒りを延々とぶちまけても解決には至らないが、中東の紛争ですら止められない国連を始め国際社会も、この類の解決は両国間の理性ある平和的な解決をと言うだけで、これも全く当てにならない。日本国領土であるものの、東京都が個人所有者から買い取りの動きに対し、外交努力やタイミングを考えず国営化を急いだ日本の政府も反省しなければならない。いずれにしても政府は暴徒化した破壊・略奪・放火などのデモは早急にやめさせる努力をしなければならない。これ以上続けば冷静に理性を保っている日本国民も一部で不穏な動きも出るかもしれない。その前に普通で当たり前の理性を持つ国とは思えない中国ではあるが、日本政府は全閣僚が英知を結集させて収拾に努めて頂きたいものである。

 

|

 ××年〇月〇日 T少年が中学1年生の秋のことだった。秋の収穫が終わった田んぼに一人の少年を囲んで10数人が周りを囲むように立ち異様な情況をかもし出していた。その内に周囲の一人が押し出されT少年と相対の殴り合いが始まった。T少年は目の前の一人と戦いながら、周囲の集団にも目を配りながら必至だった。どのくらい時間がたったか分からないが、大勢を相手に当然T少年は大敗した。着ていた学生服は汚れてしまったが、少しでも親に気づかれないようにと、汚れを取りながら悔しさ一杯で泣きながら家に帰った。家に帰っても親に報告すれば、なおさら怒られるのでそっとしていたが、さすが汚れた服だけは隠すことはできない。母親に直ぐに見つかってしまい、事情だけ話し父親には黙っていてもらうようお願いした。

 普段からそりの合わない仲間ではなかった友人たちに、集団で暴行された理由が分からなかった。次の日、気持ちのおさまらないT少年は、暴行に参加した全員を相手にできなかったが、相対で殴りあった隣のクラスだったI・S少年の教室に行き、理由を質しにいったが応えなかったので、そこで一発鉄拳をくわせた後、教室の机と椅子をすべて横倒しにして帰ってきた。その内に先生に知られる前に複数の女子生徒が騒ぎ始めたのだ。T少年に集団暴行した主犯格のI・A少年や関わった仲間に抗議をしていた。抗議は本当に半端でなく鋭かった。

 後でわかったが、T少年はそこそこ成績は良く、女子生徒からも信頼を受けていた。そのことが、面白くなくいわゆる「妬み」が原因で集団暴行になったと後で聞かされた。卑劣な行為を女子生徒から執拗に責められ、ついに主犯格のI・S少年はT少年に謝罪をすることによって、この集団暴行は一件落着となった。この間先生は一切関与していなかった。子どもたちだけで解決できたのである。女子生徒や周りの同級生が知っていても、われ関せずと知らない振りをするなど、時間的に間があけば「いじめ」は続き、それぞれの少年は大きく変った人生を歩むことになったと思う。(暴行集団の面々とT少年は現在よき友でいることを付け加えておきたい)

 何故、短時間で解決できたのか。良いことと悪いことのけじめを、普段から教えられており、みんなが共有することで正義感が自然に体にうえつけられていたのだ。そして、事の善悪などの倫理を女子生徒が行ったように、即ことばと行動で実践したことが早期解決に結びついたものと思う。道徳を教える先生との信頼関係があるからこそ、素直に道徳が身につき自然に行動に出たものであろう。誌面の都合でT少年のいきさつは、これだけでは分かりにくい面があると思うが、このくらいで留めておこう。

 現在のように教師や親と友達のように接することは決して悪いことではないが、やはり「敬うこと」「怖いこと」など最小限度の礼法を道徳により教え、敬慕・威厳の距離感、節度を持たせることが必要ではないか。「いじめ対策」は対処法でなく、その根源を直視し、自ら判断あるいは友人間で処理できるだけの倫理を、信頼ある教師によって徹底的に教え込むことから始めるべきではないか。時間はかかるが場当たり的な対処法では決して解決できないと思う。

 

|

  6日 いじめによる自殺が後を絶たない。いじめが原因で将来ある若い命を絶つことはあってはならないし、させてはいけないと思う。本日の報道によれば文科省も「いじめ対策専門化組織」なるものを立ち上げる発表された。長野県もいじめ根絶に向けて官民連携により「県民会議」を設立させるとのことである。国も県も本気になっていじめ対策に本腰を入れることはよいことである。ただ、私は対策の本当の中身が見えないので何ともいえないが、このような対策でよいのか些か「いじめ根絶」には不安が残る。目的目標は共有できると思うが、誰が何をどう具体的に行動をするのか。いじめが起きたからその相談やカウンセリング的組織をつくっただけでは解決できないと思うからである。

 話は少しそれるが、私はある一時期腰痛に悩まされた。腰痛・膝痛・肩痛など痛いときは病院に頼り、整体師やマッサージあるいは薬局等で痛みを抑える処置をする。誰もが経験するスタイルだ。確かに痛みは一時的に解消するが、自分の体の仕組みに基づいて根本的に痛み等を解消するのではない。私の体験からすると痛みの原因を起こすとされる、筋肉の再生をして痛みをなくして健康な体づくりができた。(最近の信毎フォーラムでもそのようなことが記載されていた)周囲が原因の根源を直してはくれない。情報や手法などの手助けはしてくれるが最終的には自らが努力しなければ治せないと思う。いじめ対策も似て非なるものと思えてならない。

 いじめは今始まったものではない。この世に人間が生を受け自ら判断能力が身につく頃から始まるものと思う。陰湿か陰湿でないかは別として、私たちの子どもの頃も頻繁にあった。50~55人学級時代でも先生の目が行き届かなかったから、いじめによる自殺があったか。自殺まで追いやったことはない。時には子供たち間で解決処理ができていた。今は子どもたち一人ひとりに目が行き届くとされている、30~35人学級の中にあっても頻繁に起きている。この二つの時代に行われていた教育指導方針にその要因を突き止めるヒントがあると私は考えている。だから前述の腰痛対策等といじめ対策は似て非なるものと思う所以である。

 いじめが起きてから、いじめがありそうだから、いじめを受けているこどもを救済するための対策、いずれも現在発症した痛みをなくしたい腰痛対策と同じ発想だ。確かにその対策も重要であるから全否定をするものではない。日本の国の約70パーセントの人は腰痛に悩まされているとのことであるが、いじめも今後ゼロにはならない。如何にいじめをゼロに近づけ、自殺に至らせるような陰湿ないじめをなくし、受けてしまった子どもも自殺を留めさせる強い精神力をつけさせるかが必要であると考える。抽象的で良くわからないと思われるかもしれないが、私は結論から言うと「道徳教育」こそが、今こそ求められているのではないかと思う。

 いじめのほとんどは、学力・体力・交友・生活関係等々の妬みが大きな要因の一つであると思う。師を敬い慕い、友を大切に、親を重んじるなど、基本的な倫理観や正義感、豊かな感性と寛容力、自己抑制力と自立心等々を、もっと積極的に指導してはどうか。それらは全て現在の学習指導要領により実践していると言われるかもしれない。しかし、その道徳心の欠如がいじめに結びついていることは確かであると思う。強力にすすめれば、愛国心の強要とか軍国主義に引導するとか偏った考え方で、道徳心(道徳教育)を曖昧にしてしまった教育に問題があると思う。

 根源である課題の整理と対処法こそがいじめをなくす対策であると思う。しかし、教育100年と言われ時間は要するが、今から実践に向けて見なおすべき時であると考える。長い文面になってしまったので今回はここまでとして、何故このような考えに至ったか、後日、私の子どもの頃の体験を通してもう一度「いじめ」の問題を考えてみたい。


|

 3日 阿部知事が9月1日で初当選以来4年任期の折り返しの日となった。阿部知事の県政に取り組んできた2年間の県民の評価は総じて良い傾向である。阿部知事とは副知事時代を含め少しかかわりを持たせていただいたこともあり、そんな立場から忌憚のない意見とあわせ私の見た知事像の感想を述べてみたい。最近の知事とは身近で接したことはないので、正確な状況判断とはならないと思うが、あえて厳しく総合評価させていただければ、「ウ~ん、そうかな」と先ず思わざるを得ないというのが偽らざる気持ちだ。

 確かにフットワークも良く県民映りも決して悪くない。しかし知事としてのリーダーシップと絶対的信頼感を漂わせるパワーを感じ得ない。1年目は村井県政の予算消化の年として対象にはならないと思うが、構想日本を主体とした事業仕分けを強引に進めたなど、積極的に改革しようとするパフォーマンスだけは見受けられた。2年目の1年間を振り返ってみても、知事が長野県をどのような姿に導こうとしているのか分かりにくい。余り自分の考えを発信していないように見受けられるのだ。次を意識していないと言いながら、2期目を狙うがための慎重な姿勢と、無難な県民との接し方をしているように見えてならない。

 最近の言動や様々な検討会議、審議会などを立ち上げているが、自分の長野県の将来像が明確でないだけに、広く会議を持っても結論が出しにくい情況ではないかと感じる。副知事時代も職員に色々調査検討を指示しても、指示をしっぱなしで結果を県政に活かすのでなく、いたづらに職員を遅くまで残業を強いただけであったことも度々あった。最後まで指示した事案に対し自分が責任を取るからと言う姿勢でなく、自分が仕事をやっていると言う姿勢を見せているかのように単なるパフォーマンスであった。現在、丁度その繰り返しをしているように見えてならない。実際に中を知る情況でないので想像だけの見方であり、誤解があればお詫びをしなければならないが、表向きだけ知事に顔を向けている職員だけになり「裸の大様」にならなければよいがと思う。

 選挙さえ勝てば任期の4年間だけ無難に過せばよいという考えはないと思うが、リーダーは万が一あってはならないことだ。個々の県政課題のコメントは控えるが、長野県北部地震の災害復旧は誰が知事でも早急に取り組まなければないのは言うまでもない。ただ、新しい中期総合計画は少なくとも知事になって、まだ現行の中期総合計画の期間の終了年度を待たずに樹立させ執行したいと言っていた。さすが、この問題は私も現行中期総合計画の総括もしないまま実行することに、強く反対の意を唱えてきた。当然ながら現行中期総合計画の終了後に新中期総合計画をとなったが、あのときの勢いはどうなったかと疑うほどスローテンポであると思う。

 前述のとおり意見を単に聞いているだけでは先に進まない。しっかりリーダーシップをとっていただきたいと思う。一方的に辛口な知事評価になってしまったが、たまには違った角度から見つめる知事評価もよいのではないか。このブログでの私の考え方見方に誤解や間違いがあればご指摘いただきたいと思う。たちまち9月県議会が開会されるが県民の将来のために、大いに議会側も議論展開を望みたいものである。

|