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 15日 お昼のテレビのトップで橋本徹大阪市長が日本維新の会代表として国会に出向き各党の代表へあいさつ回りを行ったと報じた。今日一日だけのことであれば、それでも政治を変えるために頑張っているなと評価できる。しかし、週末からは全国遊説を開始するとの事である。「大阪市長だよな」と思わずつぶやいてしまった。私の町は人口12000人ぐらいであるが、町長は町長としての公務のため休日の休みもほとんど返上して活動されている。夜もプライベートの時間をつくるが難しいくらいである。人口260万人超の大阪市の市長が、行き着くところは市民のためと言いながらもこれでよいのだろうか。

 私は正直「大阪市民をなめている。愚弄している。」と言いたい。国政を変えることによって、大阪都構想の実現が図られ、大阪市民のための地方分権が実現できるとの論理は分からないわけでもない。現職の市長が本当に政党の党首となり本部を大阪に置き、大阪市政と政党党首の二束のわらじを履きこなすことができるだろうか。できるとすればかなり大阪市を犠牲にしなければならないことになると思う。大阪市民は何のために市長に選んだのだろうか。何故このような行動に黙っているのだろうか。今週末は大阪に行くのでそのあたりを市民の皆さんに聞いてみようと思う。

 かつての長野県知事田中康夫氏が大阪のラジオ局に出演のため度々出張していた。そのために無理に仕事を重ね合わせていた向きがあったが、公務と個人との関係が問題にされた。しかも出張旅費を県から支給を受けながら、ラジオ局からも旅費経費を含むギャラを得ていた。このことですら大きな非難をされていたことはご記憶の通りである。それが、国政の政党党首となれば頭首としての責任ある行動調整は、私たちには想像も付かないくらい激務であると思う。県会議員も多忙を極めるが首長はもっとハードである。大阪市としての目に見えるムダな経費以上に、市民は大きな損失を被ることになると思う。マスコミはこのあたりも「本当の市民のための市政のあり方、首長のあるべき姿」を国民に分かりやすく報道するべきだと思う。

 いずれは国民の皆さんも分かるときが来ると思うが、現実は時が止まってくれたり、遅れた市政修正のためにタイムスリップしてくれない。昨日も元宮家の竹田恒泰氏の講演を聞く機会があったが、竹田氏の理論がすべて正しいと言わないが、少なくとも今の若者の思考は歴史認識から日本を見つめていないことは同じ思いである。だからこそ、マスコミの取り扱い方によっては日本の危機につながりかねない問題である。皆さんはどう思うだろうか。

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 8日 県議会も先週閉会となった。注目されていた案件も議会村の無難な調整判断により予想通りの結果となった。議論がどこまで尽くされたかは外部の一般人には分かりえない面がるが、9月定例会の結果がすべてよしでなく、今後も引き続き県民の立場に立ってチェック機能を働かせていただきたいものである。

 そもそも人事案件は委員会付託をしてみてもプライバシー問題も絡み清々と質疑はできないことはわかっている。県政ながのの宮本議員の委員会報告にあるように「私は桜井久江氏がかつて清内路村の教育委員を務めたこともあり、中山間地域の教育にも力を発揮できる人材との答弁を山口教育長からいただき、この人事案件に同意いたしました。不祥事が続く中教員の資質向上を目指し、ご尽力いただくよう願うところです。」この質疑結果によってご自分の判断を明確にして採決に臨まれたことは評価したい。しかし、失礼ながら委員会での審査においてはこれ以上の質疑はできない。

 人事案件の提出の仕方を工夫するしかない。かつての田中知事のように本会議の当日に人事案件を提出されても、本会議場でどのような質問ができるのか。答弁者は提案者であるのでどのような質問に対しても良い面だけ答弁すればすむ。議案提出者と県議会との信頼関係があるかないかによっても異なると囁かれた事もあった。議会と信頼関係があったといわれた村井知事もその状態が続いたが、2期目の途中から当時の創志会を中心に開会日に提出するよう求め、現行のようになったことは記憶に新しい。


 議案提出される前に名前があがることによって、人事に議会の関与が傾注しすぎるのも決して良くない。しかし、知事部局内の人事はとやかく言えないが、行政委員会等の人事はそれなりの知識と見識のある方を望むことは当然なことである。だからこそ知事部局と県議会との信頼関係に立った上で、事前に丁寧な説明をするなど最大限の計らいをすることが大切ではないかと思う。人事案件でクレームがつくことは、提出側も議会側も当事者も望んでいない。

 もし、不満や疑義があるなら堂々と討論で考えを明らかにし採決に臨むことがよいが、現実は討論もしにくい面があるが、でも審判された当事者も就任後指摘された否なる部分を注意して職務を遂行できると思う。今回のように最大会派により焦点が曖昧な思惑で審査方法が変ったと、県民に分かるような議会(最大会派)による強引な審査手法変更は慎むべきであろう。また、そうさせてしまった県側も大いに反省するべきと思う。

 

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 1日 県議会の一般質問で県短期大学の4年制移行に対する県の考え方について質問があった。質問の内容や質問に対する答弁等のコメントは、この際私にとって4年制化そのものに疑義があるので差し控える。私は県短期大学の4年制化について私は慎重な考えであったからである。
短大から4年制大学に移行により高度な学問・研究の場を与え、有能な人材を育成することは否定しない。しかし、明らかに人口減少化時代を迎え、本県の高校教育の現場ですら入学志願者の減少で定員割れが多く、高校再編の大きな要因となった。4年制にしたからと言って学生が集まってくるのだろうか疑問だ。

 そもそも、4年制化に向けてのプロセスが全く逆になっていると思えてならない。それは、現在の短期大学で何が不足で、何を求めようとしているのか曖昧の中で、ただ4年制化のみの考え方が先行している。4年制化がある程度周囲の理解が得られようとしてから、学科を何にするか検討が始まっている。確かに短大同窓生からは管理栄養士育成課程を望まれていると聞いているが、本当に本県にとって、国にとって将来もより必要とされる課程なのだろうか。本県の県立4年制大学として特別な特徴ある育成が、県として必要性があるのだろうか。4年制化ありきで、とってつけたような学科のように思えてならない。
子ども学科も同様に県としてどのような教育を求めているのかこれも曖昧だ。いじめ問題や学力低下問題などの解決策であるとするならば他にあるはずだ。

 高度な教育をおろそかにしようとは思わない。県が負担しなければならない今後の運営費が約10億円と言われている。ただでさえ税収が減少し今後の財政運営を考えただけでも、本県の教育全般に必要とされる分野に有効に活用しても年間10億円は要らないはずだ。将来の高校教育ビジョンを根本から見直し、勇気ある決断を下したことを手本に、本県だけのエリアを考えずに国全体の中の4年制大学のあり方を議論し、後に禍根を残さないよう県会は目の先の票を求めるのでなく(失礼)、場合によっては「ノー」と言える気概をもって議論展開していただきたいと思う。

 県議は先を予測できる立場だけに、勇気ある判断と発言を県民は求めているのではないだろうか。いや、率先して将来あるべき姿を県民に説明し、今は憎まれても後々賞賛されるような誇れる県議であって欲しい。県民にとって最後の塞で最大限のチェック機能を持つ県会だからこそ、敢えて勇気ある判断を求めたい。

 

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