現在位置:ホーム»としみつTime'sトップ»記事一覧ページ

 21日 箕輪町の清水洋さんのブログ「清水洋ある日あるところで11月19日『この方々良いのだろうか?』で松井大阪府知事・橋本大阪市長・河村名古屋市長の国政に対する行動等について、私の以前に掲載したブログでの考え方もご紹介いただきながら現況に疑問を投げかえられていた。全くそのとおりだと思う。このことについては以前にも考えを述べたので重複は避けるが、最近、更に大阪府議会議員の皆さんに対しても、清水さんのことばをお借りすれば「この方々良いのだろうか?」と思うことが多い。

 私どもも県議時代に国政選挙や知事選挙また市町村首長選挙など、選対に入り選挙活動をしてきたことがある。しかし所詮県内でもあり自分の選挙区内での限られた活動であった。それが大阪府議会議員の皆さんはすべてではないと思うが、他県の広域ブロック長として候補者擁立など責任ある職責を持った活動をしている。これからも総選挙となれば大阪府の府議会議員としての仕事は放棄したにも等しい情況となる。県会議員としても、やるべきこと、やらなければならないことなど時間が足りないほどあるはずだ。少なくとも我々は地元の催事と政務調査活動等で体が二つ欲しいと感じていたくらいである。どんなに忙しくも、活動していることは長野県のため、地元地域のための活動であった。

 それが大阪府の府議会議員でありながら、国政選挙に個人的に支援活動を府内で活動するならまだしも、新しく立ち上げた政党の立ち上げからブロック長として他県の立候補予定者との面談など、それらに要するエネルギーは並大抵のものではないと思う。しかも立候補者決定の後はその支援活動と選挙応援と本来の大阪府議会議員としての仕事はできないと思う。それが知事共々である。しかも報道によれば大阪市議会は橋元市長が総選挙の日本維新の会立候補者の応援のため、会期を早めたとか短縮したとか、これも大阪市のための行動ではない。どうなってしまっているのだろうか。

 大阪府・大阪市の府知事・府議会・市長・市議会など、これら一連の行動にマスコミも英雄並みの扱いこそしても、本来の職務遂行について疑問を投げかけていない。先月大阪でほんの一部の市民であったが尋ねても疑問視した答えはなかった。逆にこのことが結果的に地方の政治ばかりでなく、国政もゆがんだ方向に進んだとしても「当たり前」の姿と捉えられていくことが不安である。ここでもマスコミは小さなことかもしれないが、大きな不安材料となるこれらの活動にメスをいれ、大阪府民や国民が正しい判断ができる報道をしていただきたいと願うばかりである。

|

 17日 昨日衆議院が解散した。今までの政権運営を見てくれば「国民に信を問う」ことは当然でありむしろ遅すぎたくらいである。各報道機関で報告されているので私が色々状況判断をするまでもない。しかし、どうしても納得できないことは第三極勢力の大同合併構想だ。第三極的考えの政党化の現われは今の政治状況を見れば手法手段は別として当たり前のように理解できる。国民が国政を委ねる政党を選択できる二大政党化は決して悪くはなかった。だが余りにも政権担当能力のない政党による、中身を吟味しないまやかしのマニフェストに国民は躍らせられてしまった。この三年間は日本経済や国民の生活を損ねたばかりか、日本の外交・国益も大きく損ねてしまったことになる。何も民主党だけを責めるつもりはない。自民党も長期にわたり政権を担ってきた責任ある野党として、もう少し高次元の国会対応が求められたのではないか。

 いづれにしても総選挙となる。二大政党に割り込もうと第三極勢力が話題となっているが、現状での統一化の進め方に大きな不安と疑問を持つ。前述の通り第三極の声が上がることは歓迎こそしないが至極当たり前のことと理解できる。「至極当たり前」の意識が国民の多くに見受けられるだけに、既成政党ではだめという第三極の甘い幻想的なことばに惑わされ、再び国民を無視した政局がらみの衆議院の国会となることを恐れる。既存政党も現実を踏まえて国民を考えた腰の据わった政策を打ち出してもらいたいものである。

 なぜならば、第三極の小異を捨てて大同統一とする手法手段が、理念も政策もすり合わせたと言うものの、全く野合と言われてもおかしくないからである。昨日まで「太陽の党」に参加する「たちあがれ日本」の議員は考え方が異なるから行動を共にできないと言っていた橋下・日本維新の会代表は、そのことばを忘れたかのように統一行動を取ると言い出している。これでは選挙向けの野合そのものではないか。まだまだ不審なことや偽善的なことなど沢山あるが、国民は巧みな言葉にだまかされてはいけない。次第に明らかになってくる政策・公約をしっかり見極めて判断したいものである。


|

 4日 田中眞紀子文部科学大臣が「審議会が答申した三大学の新設は認可しない」と記者会見で発言したことが問題となっている。私は田中大臣が大学設置の抜本的な見直しをするという、今後の方向を議論しようとする考え方には賛同する。しかし、今回のように既に新設に向けて申請の段階で文部科学省の指導に基づき進めてこられ、大学側も校舎も完成し来年の準備が進められているこのときに不認可は納得することはできない。

 私は以前に長野県立短期大学4年制化の議論の進め方に異論の考えを述べたが、大学の運営や大学に求められる質、今後の日本の人口動態を考えた大学の定員不足の問題等に田中大臣が警鐘を鳴らしたことは評価したい。誰もわかっていながらそのことに口を塞ぎ、短大より4年生化にして資格を取得させたい、県内の高校生に学んでもらい卒業後県内で就業の機会を与えたいなど、表面的には受けやすい理由を並べている。また、海外からの留学生を受け入れることは国際化の社会において、日本の学生にとっても良いことと思う。しかし、最初から定員不足を補うために受け入れ、大学の運営をカバーしようとすることには賛成しかねる。

 今回の問題は田中文部科学大臣として責任ある判断とはいえない。自分が大臣として申請の認可に直接携っていないにしても、行政の継続性を無視しては混乱を招くだけだ。答申は受け入れその後に今後についての方向は抜本的に見直すとあれば、日本の人口動態を考慮した大学のあり方等について議論が始まる。そのことこそが担当大臣としての責任ある発言として歓迎されることになると思う。折角の大学設置の核心に触れる課題だけに、暴言ではすまされない、むしろ汚点を残してしまったことになる。国も県も本質議論を早急に行い徹底的に議論するべきではないか。その上で大学の新設等が決定されたなら国民も納得できるのではないか。どのように収拾されるのか注目したい。

 

|