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 31日 政権交代後の安倍内閣最初の国会論戦が始まった。与野党を問わず国民の利益を考えた論戦を期待したいものである。野党側も決して政府側のあら捜しでなく、政府が提出した予算案に対し厳しく質していただきたい。質問された安倍首相をはじめ各大臣も、国民に分かりやすいように、丁寧に答えていただきたいと思う。与党議員も予算を与党として審議をしてきたから質問がしにくいとして中途半端に質問して欲しくない。与党であっても地元に戻り、国民に説明しなければならない責任もあるだけに、国民に理解してもらうためにも、しっかり政府の考えを引き出させるべきである。

 かつて私は町会議員の時町長室で懇談していた折、時のT町長に「敏光君、余り厳しい質問はしないでくれ」と言われたことがある。私は「町長、私は町長を熱心に支援してきました。当選させた責任ある町民の一人です。町長に間違った町政運営をしてもらいたくないのです。町民のための良い町長になっていただきたい。だから、厳しい質問もするのです。」と一気に喋り捲ってしまったことを今でも鮮明に覚えている。48歳のときであった。でも、未だにその考え方は間違っていないと思っている。

 その当時のT町長はその後も私の質問に対して理解を示し丁寧に答えてくれたことに感謝している。T町長が勇退しS町長が誕生した際も同様なことを言ったつもりであるが、そのS町長は非難されていると思ったのか、ことごとく露骨に反論しながらの答弁を繰り返していた。質問と答弁はかみ合うはずがないまま任期を終えた苦い経験もある。トップとしての技量は決して町長と議員だけの問題では済まされない。そのかみ合わない議論の末は町長としての資質を問われることにつながるばかりか、町政の遅れと町民の様々な生活や仕事にマイナスになることを忘れてはならない。勿論町長ばかりを責められない、議員として質問した私の方にも質問の仕方に工夫があったことは否めないことと自戒している。

 私のつたない経験話をしてしまったが、国会も県会も末端の市町村議会も、首長と議会との関係は常に適度な距離を置きながら、分かっているから質問しないということでなく(議員だから議案内容は当然分かっていると思うが)、少しの疑問・不安等は住民にしてみれば数十倍となるだけに質してほしいと思う。今や正に人口減少、経済・財政、東北の復興、安定した国際関係など、待ったなしの課題は山積している。今国会では政局絡みの論戦でなく国民のため未来の日本国のための格調高い政策論戦を期待したいものである。

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 22日 大阪市立桜宮高校の教師による体罰問題から起因した来年度の入試問題、大阪市教育委員会の決定は納得できるものではない。体罰が要因で自殺されたとされている生徒の死は、現実の問題として真摯に向き合っていかなければならないが、体罰問題に対する教育のあり方を考えることと入試問題は別次元であると思う。この一連の橋下市長の発言と行動は異常としか思えない。また大阪市教育委員会の対応の遅さと稚拙さは非難されるべきと思う。

 体罰の問題は多くの識者や元プロ野球選手などが意見を述べているが、私はスポーツを含めあらゆる学びを吸収する際、程度は難しいがある程度の体罰はやむを得ないと思っている。今回の体罰は確かに行き過ぎている面も見受けられる。体育系の強豪高校と知られる高校として、トップレベルを維持していくために指導がエスカレートしてしまったことは否めない事実と思う。このことは学校全体の実態を把握し、時間は多少かけても改善策は見出せるはずだ。

 橋下市長の発言と行動は冷静さを失っている。滋賀県大津市で発生した「いじめ事件」の対応が教育委員会や行政側ともに遅かったとの世間の非難があった。だからと言って早くに解決するために何をやってもよいというものではない。今回の市長の取った行動は教育委員会の独立性を損ない、予算提案権のある市長が補助金削減をちらつかせ、時の首長の思うとおりに教育を牛耳るファッシズム的驚異ですら覚えるものだ。在校生や1ヵ月後に入学選抜試験を受けようとする中学生の心を全く考えていない自分中心の政治屋そのものだ。しかも、この市長の考え方に意を問うなら選挙で落とせばよいとも豪語している。リコール以外では3年も経過してしまうが、その間生徒や桜宮高校の現場の教育はどうなっても良いのか。

 教育委員会も余りにもだらしがなさ過ぎる。今までのいじめや体罰などによる自殺問題に対する教育委員会の対応のあり方など、事案の反省や様々な意見が活かせれていない。さもなくても、市町村から独立した行政委員会でありながら予算の提案権もなく、首長から任命され名誉職的だと揶揄されている現況で、全体の入試中止はかろうじて阻止できたと言いながらも、せめて今回の体育系2科を普通化にする問題も、独立した行政委員会である教育委員会として、教育の専門的立場から断じて市長の要望を受け入れることはできないと判断するべきではなかったのか。このような間違った判断ばかりしているから教育委員会は不要だとの声が高まるばかりである。

 「体育科に魅力を感じて受験したいと思う生徒がほとんど。普通科に回されるのは、私たちは納得がいかない」。「具体的な理由がなく、私たちの声も十分に聞いてくれなかった。思いは1時間で話せるわけがない。『生徒、受験生のことを考えて』と何度も繰り返したが、在校生と受験生のことを考えたらもっと違う結果があったんじゃないか」。「学校を守りたい」。などと、生徒は橋下市長に反論したとの報道があった。更に、橋下市長が教師の全面的異動との発言に対して、女子生徒は「心に負った傷は深く、私たちを支えてくれるのは同じ傷を負った先生しかいない。新しい先生に入れ替えては、亡くなった子の思いを帳消しにしてしまうように感じる」と訴えたという。いや、このような生徒の純真で真摯な訴えを決して無視してはいけない。

 もし、このまま昨日の決定どおりに入学選抜試験が行われた場合、目標を失った受験生や在校生の思いをどうカバーして上げられるのか。桜宮高校だけの問題では済まされない。こういう場当たり的な政策遂行こそが学校不信や政治不信につながると思う。それにしても生徒たちの心情を推察すればするほどやるせない思いで一杯である。平常心をもって今まで通り授業と部活をやってくれといっても難しいだろう。

 体罰の問題、いじめの問題、教育委員会の問題等々については時間をかけて結論を出せばよいが、今回の桜宮高校の体育系の2科の入試中止は、中学生の夢と在校生の将来に大きな負担と問題を残すことになるだけに即刻結論を出さなければならない。。生徒中心の教育を実施させるために全国的な規模で声を上げるべきと思う。それにしても時間がない。

 

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 21日 久しぶりの大雪は国県道は一定の積雪があれば業者が雪かきの処理をしてくれるが、普段積雪が少ない地方では雪かきに困難を要することが多い。特に最近高齢化の上に独居老人が多いことだ。その皆さんに雪かきの強要はできないが、若い世帯であっても道路の雪かきにでてこない人が多い。どうしてもその箇所は雪が残り、私どもの寒冷地では自動車で踏みつぶされた雪が、輪道の部分以外は雪の塊が凍ってしまい車も歩行者も危険極まりない。以前は(数十年前)近所の皆さん総出で人家のないところまで雪かきをしたものだ。今はそのような互助の心はどうしてしまったのだろうか。原因の追究は際限なく各分野に行き渡るので今回は追求しないことにする。

 町役場が情報無線で何回ともなく「通学路確保のための雪かきをお願いします」と流していた。大雪のあと町内を回ってみたが、とても十分とはいえなかった。ふと気がついたら役場庁舎の周りの雪が処理してなく、役場に訪れる人達も大変危険な状況の中を通らなくてはならない。住民の皆さんに協力を求めておきながら、職員自ら役場の周囲の道路ですら雪かきをしないようでは町民の皆さんにお願いはないだろう。

 職員は職務があるからと言うかもしれない。職員は住民に仕事をしてやっているのでなく、住民のためのサービス業であることを忘れてもらっては困る。しかも、大雪は水害と同じで一種の災害である。台風や集中豪雨などのときは対策本部を作らない状況のときでも、職員は危険箇所の見回りや対応策を職員自らが取っている。それで手が負えない場合は専門業者に依頼し処置してもらっているのではないか。大雪のときぐらいそれらと同じような対応をしても良いのではないかと思う。何も行政に家の前にごみがあるから拾いに来て欲しいなどと、何でも行政に頼るつもりで言っているのではない。職員自らが互助の姿を積極的に行い、その上で町民の皆さんに協力を求めることこそが、健全な町づくりの一歩となるのではないだろうか。

職員が交代で雪かきをしても役場の周囲だけであれば、仕事にそう支障をきたすことは無いと思う。雪かきのみならず高齢化社会を迎え、あらゆる場面で行政と住民との協働作業をしなければならないことは多い。一自治体の一端で重箱の隅を突くような事案かもしれないが、住民と直接交わる市町村ばかりでなく県も含めて、住民サービスのあり方を住民サイドに立って、もう一度考えてみるべきではないだろうか。地域住民自身も当然ながら互助の精神を持って事にあたって欲しいものである。

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 18日 本日の朝刊(信毎)に県議会の会派(県ク・公明)が、県内4私立大学の学長らと県短大の4年制化をめぐり意見交換会を行ったと報じられた。県議会が積極的に直面する課題に向かって、各層の識者と意見交換をすることは大切なことであると考える。自民党県議団や改革・新風、県政ながのも一部の大学と意見交換したとの事であり大いに評価に値するものだ。これらの調査活動を今後の結論に至るまで、議論展開の中でどのように参考意見として活用できるかが注目される。

 住吉松本大学長が「理念がなく、四年制大学をつくることだけが目的となっている」と批判したとされているが、私も昨年このブログで同じ考えを述べたことがある。意見交換会の中で各学長は「県立大学の新設自体には賛成」としているようであるが、果たして本心はどうであろうか。やはり、大学進学者は増加しているとはいえ少子化が進み学生減は否めない現実をどう捉えているのか。募集定員に見合う学生が受験してくれるかもあるが、目標を持たないで単純に入れる大学に進み、何となくその大学にある学部課程を選択し、大学を卒業したレッテルだけ結果として残るだけで「良し」とする傾向もあると聞いているがそれでよいのだろうか。

 かつての教育県と評された長野県が県立四大として目指すために、これからの社会・経済・環境等々がどのように予測され、将来の長野県や日本に求められる専門的人材とは何か、そのために設立が長野県でなければならない根拠は何かなど、あらゆる角度からきちんと精査することが必要ではないか。懸念されることは沢山あるが、県議会が多くの識者の皆さんと意見交換をすることによって、県民や関係者に堂々と説明できる結論を見出して欲しいと期待したい。

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 どなた様もよき新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。本年もつたないブログを通してとなりますがよろしくお願い致します。

 私は癸巳の新年を様々な思いの中で、何か胸中整理できないまま迎えた感じです。夢中で活動してきた地方政治の現場から不本意ながら離れた立場から見つめて2年、現役では味わえない多くの声と試練を得てきました。また、県市町村がやらなければならないこと、地方議会としてやらなければならない責任などが改めて見えてきました。

 生意気を承知で敢えて言わせていただければ、もし私が首長であったなら、もし私が知事であったなら、もし私が地方の議員であったなら、このように判断し行動を取るだろう。あ-もしたい、こ-もしたい。将来の地域づくりのために今やるべきことはこれだ、もっと早急に実施するべきではないか。等々様々な思いが私の脳裏をかけめぐったが、何もできない現実に地団駄を踏む思いも味わってきました。

 正夢でなくともそれらを払拭するような、初夢を見ることができなかったことが、晴天ごとき心境に慣れないまま迎えた新年であろうと勝手に解釈しています。早く清々しい年を迎えられるよう、一日一日を大切に精進していくことを自分に誓ったところです。今年もつまらない評論家気取りにならないよう努めながら、せめて昨年より頻度よくブログを通して皆さんにお会いしたいと思います。色々なご叱咤ご意見をいただければ幸いです。改めて今年もよろしくお願い致します。

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