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同級会を開き、墓参りを

 13日 信濃毎日新聞の「むすんで ひらいて」(教育県再興)シリーズを読んで、私の思いを投稿した。シリーズの結びとなった本日(13日)に読者からの反響を紹介する記事が掲載され、私の投稿文の一部も紹介された。信毎読者以外の方もおられるので、改めて「トシミツ タイムズ」に載せ「いじめの事象」が何十年経過しても、心の負担を引きずっている現状を皆さんと共に考え直してみたい。ご笑読頂きご意見等賜りたい。

「むすんで ひらいて」(教育県再興)投稿文

 第2部 いじめ自殺26年目の問いを複雑な思いで読んでいる。ここにきて26年前を振り返ることはある面で酷な感じもする。しかし、改めて今も昔もいじめの周囲の行動は本質的に変りがないことを教えられた。教師は勿論、生徒間も家庭も当事者以外は余りにも無関心だということ。特に担任教師が適切な指導をしていれば一人の尊い命を救うことができたと思う。今回の取材にも受けないでいることは、余りにも教育者として失格だと思う。担任教師は失敗の反省をしたうえで、勇気ある謝罪と行動があってこそ、誤った事象の改善になると思う。

 教育県再興と言う大儀から26年前を振り返ることは大切かもしれない。しかし、この振り返りをどう再興に結び付けていくかが重要であると思う。「いじめ自殺26年目の問い」は取材される方も辛いだろうが、読む方も実はやるせない思いで読んでいる。やはり、26年前の事実は真摯に受け止めながらも、自殺した夕子さんとご家族には申し訳ないが一応のけじめをつけるべきときと思う。取材の中にもあったが誰もが「一生引きずる記憶」であると思う。クラスの同級会も開けないで罪の意識を抱えたまま大事な一生をこのまま続けてよいのだろうか。

 私は、「同級会を開き、みんなで墓参りに行きたい」と取材に応えていた同級生の一人と同じ思いである。是非実行していただきたい。そして、クラスの仲間がいじめで自殺した事実は拭い去ることはできないが、せめてこれからの人生を夕子さんのためにも「自分は人殺しだとの思い」を絶って、生まれ変わった人生を生きていくために、クラスのみんなで墓前に謝罪と線香をあげることで、事実を打ち消すのでなく、なくなられた夕子さんのご冥福と共に、自分たちの心も清め、気持ちの整理をすることは大事なことと思う。

 いじめ問題は当事者のみでなく社会全体で解決していくべきでしょう。色々な家庭環境と複雑な社会環境の中で、やはり教師と教育委員会だけを責められないが、問題の中心の立ち居地にいることは紛れもない現実の姿である。特に教師はいじめの芽を摘み取ることができる立場にいることを忘れてはならない。しかも、子どもから崖っぷちの際で切実なメッセージを受ける立場だけに逃げてはいけない。夕子さんのご家族のご理解を頂き、早くこのクラスの仲間の心を解放してあげたいものだ。