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 31日 あっという間に5ヶ月が終わろうとしている。この間私にとってもある変化があった。良いにつけ悪いにつけ世間にはびこるIT機器による「伝達手段」の多さだ。当時の佐々木祥二県議会副議長のおすすめで、フェースブックなるものに挑戦した。最初は戸惑いながら(今も同じだが)恐る恐るはじめた。友達のリクエストもあるが、本当に承認してよいのか、その後FBのやり取りができるのか迷った。

 佐々木県議に相談したらフェースブック入門の本を買って読めば分かるといわれ買ってみた。やはりチンプンカンプンだ。丁度マージャンを始めた頃、本を買って読んでもさっぱり分からなかったが、少し覚え始めてから読めばある程度理解できたときと同じだ。今では、朝FB友達全員のページを開いてチェックすることからが日課となっている。残念ながら携帯からはできないため、タイムラグではどうしても遅くなりタイミングを逸ししてしまう場合もある。

 もう少し慣れるまではPCを利用してのFBになる。そのためといっては不謹慎だといわれそうだが、このブログ更新ができなくなっている。そもそもFBとブログは利用の仕方そのものが根本的に異なるので、ブログで近況や時局等の考えを記したいと思うができなかった。相手も特定か非特定かによるかもしれないが、これからも、出来る限り両方とも続けられるよう努力していきたい。忘れられようとしているブログ読者も、度々このブログに訪れて頂ければありがたい。

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14日 信毎の むすんで ひらいて の第5部が始まった。先月の「第4部 学校・保護者・・・擦れ違い」シリーズを読んで感じたことを忘れない内に綴ってみた。皆さんは、kのシリーズを読んでどう受け止められたでしょうか。

 今回のテーマに登場する当該者の問題は複雑のようであるが、絡んだ糸をほぐすにはそんなに難しいとは思えない。ただ、関係者に直接お会いしていないので、それぞれの立場の真意は図り知ることはできない。シリーズを取材した記者の文面から見て、事の発端時の学校側の対応のまずさと、当事者間のことばのやり取りに齟齬が見られ、そのまま状況を引きずってしまった感は否めない。その後はお互いに問題解決の努力よりことばの揚げ足取りをしてしまっていることが残念だ。

 今回も学校側は多勢の保護者会の意見を尊重したというより、学校側が問題の核心から逃げるばかりか、多勢と一人の多勢を味方に引き込み自分の立場を優利にしようとした考えが見え隠れしているように思える。その結果、保護者会に責任を押し付けてしまったように思えてならない。受けざるを得なかった保護者会も本来意図としない方向に走らざるを得なくなった。一人を攻め落とせば問題は簡単に解決できるだろうと、学校側も保護者会側も少なからず思っていたに違いない。勿論母親にも何回か決着できるタイミングがありながら、自らのエゴを通し続け問題の深みに入ってしまったことは反省すべきと思う。

 そもそも今回の問題は前述の通り、学校も保護者会も母親も義務教育下の中学生である「子ども」の教育のあり方の原点を失っていた。部活も子どもの教育の一環であり子供の心身の成長に大切な活動であることは誰もが理解していることと思う。その部活のバスケという目標を失いつつある00君に、どう対応しなければならなかったのかが問われるべきだと思う。00君を不登校にさせてしまったことは、学校・保護者会・母親に責任がある。当該の00君にとっても不幸なことである。人間が社会人として社会生活を営む上で「挫折」は誰もが一度は経験することと思う。

 でもどのような困難があってもその挫折を乗り越え、厳しい社会の中の自分を見つけ出して逞しく生き抜いていくことになる。部活も大切であるが、それだけが中学生活のすべてではないことを知らせることも、学校であり親であると思う。確かに部活内で起きた一連の行状・言動において00君の主張が正しかったかもしれない。しかし、学校だから自分の主張が通らないから学校に行かないですむかもしれない。一般社会では「ダメ人間」の烙印を押されてしまう恐れもある。

 00君の将来に関わる大切な中学生時代をバスケだけにこだわり続け、次第に問題をエスカレートさせてしまった親にも私は反省を求めたい。更には、今回の問題も学校の対応は全く生徒中心でなく、初期段階で解決できるものを学校中心に事案解決に向けて動いてしまったことに憤りを感じざるを得ない。その時の状況判断は計り知れないが、「校長の謝罪」は素直に謝罪をし、三者が落ち着いたときに冷静に話し合える機会をつくるべきではなかったのか。

 今回の犠牲者は勿論当事者の00君であるが、ある面思わぬ方向に転換せざるを得なかった保護者会でもあり、バスケに打ち込んだ同僚部員、00君を学校に戻そうと努力したクラスの生徒達だと思う。この事例を単なる「擦れ違い」で終わりにさせるべきではなく、親と教師に常に子ども中心に冷静な言動と判断を強く求めるべきではないか。

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